ワタタツの日記
2009 年 10 月 31 日 (土)
☆ 学生の単位認定の評価について
気分転換に家の掃除や整理をしていたら学部1年生の時の教養のノートが出てきて、余白に単位認定の評価についての考察が書いてありました。忘れていたのでここにメモをすることにします。
そこには「優良可深」と書いてあり「深」の部分へ矢印して「深く学習したことを表す」とありました。現在「優」のさらに上の評価として「秀」ができているが、何年も前に類似のことを考察していたということです。
気分転換に家の掃除や整理をしていたら学部1年生の時の教養のノートが出てきて、余白に単位認定の評価についての考察が書いてありました。忘れていたのでここにメモをすることにします。
そこには「優良可深」と書いてあり「深」の部分へ矢印して「深く学習したことを表す」とありました。現在「優」のさらに上の評価として「秀」ができているが、何年も前に類似のことを考察していたということです。
順番的に見ると可の下に見えるのですが、優の上にあたる評価なのでしょうか。それとも優良可などにはとらわれない別次元の評価なのでしょうか。
優の上にあたるとか別次元とか、するどい指摘ですね。<br>おっしゃる通り、評価のよい順になっているという仮定はどこにもないので書かれた順番通りに評価順を考える意味はなく、優の上にあたるという予想もその通りです。<br>そもそも「優れている」とか「良い」という評価 (「秀でている」でさえも) は教員が学生を見下した表現と言うことができます。自分の能力は学生より遙か上であり、その目線から学生を「この学生は優れている」などと評価を下しているわけです。もちろん教員ですから実際ほとんどの場合は学生より遙かに高い能力を持っているので、だからこそ評価を任されているわけです。<br><br>一方「深」とはどういう評価でしょうか。ご存じの通り、形容詞は語幹で止めることで強調を表しますので、「深い」よりも「深」はより深いという意味です。教員が「この学生、深!」と形容詞の語幹で止めるほどの深さを評価したということは、もはや見下した評価とは別次元の評価であり、教員すら一目置く評価、ランクの意味では「秀」よりも上ということになります。