ワタタツの日記
2010 年 8 月 17 日 (火)
☆ 電子教科書の議論から図らずも歴史を作る人と歴史愛好家の例を得た件
電子教科書の議論が一部で少し盛り上がって来ました。わしの考えについては近々まとめたいのう。
その議論を見ていると「歴史を作る人と歴史愛好家の違い」の新しい例を得ました。
紙の利点があると主張する人の中に
紙の辞書には電子辞書にはない、「辞書式順序の近くの言葉が目に入り、新しい言葉に出会ったり一緒に学ぶことができる」という利点がある
という意見がありました。それもひとつや二つではない。
まあとりあえず iPhone アプリの大辞林を見た方がいいんじゃないかと思うんですが、たとえ大辞林が存在していなかったとしても、そんなものはソフトウェア的に実装は簡単だし (実際そういう面白さを取り入れたのが大辞林の最大の功績です)、他にも
- 意味が似ている言葉を近くに表示
- 小学校4年生までの漢字を使った言葉に絞る
- 発音が似ている言葉を表示 (掛詞・しゃれ製作支援機能)
なんてことはソフトウェアでできることですし、すぐ思いつくものですよね。
にもかかわらず上のような明らかに間違った理由で紙の正当性を主張してしまういうのは一体どうしてなんだろうと考えました。そしたら、あ、それって歴史を作る人と歴史愛好家の違いの新しい例じゃんと思った次第です。 現存しているもの、知っている範囲のものでどうするかで考えるとそういう主張になるのも頷けます。
私も紙の辞書をかてきょ先では使うように勧めております^^<br>電子辞書は持っておりませぬ・・・
「教科書忘れました」が「教科書充電し忘れました」になるんですかね。
かつらさん、家庭教師ということはお子さん向けでしょうか?<br>それなら財力的に紙の辞書になってしまっても仕方ないですよね。紙の辞書はあの内容ですごく安いですよねー。<br><br>成長したら好みの電子辞書を買わせる、あるいは、開発させて下さい!<br><br>鬱朏さん、なります。この辺はまた意見をまとめたいと思います。
やる以上は紙の本よりも不便な点が出ないようにすべきですね。<br>普段ノートを取るのに使っているペンや鉛筆でそのまま教科書に書き込める機能は最低でも必要でしょう。<br>でないと歴史の教科書に落書きが出来ません。
はい、落書きも含めた、どこでも自由に楽々と書き込める機能がつかないといけませんよね。<br>今のような程度のアノテーション機能では教育には使い物になりません。<br>指だけではなくてペンや鉛筆でさらさら書けるようになったら面白いですね。現時点では誰もスタイラスを持ち歩きたくはないですが技術的な革命がまた起きるかも知れませんね。
私は中学生に英数を教えているのですが、数学を理解できない子には国語を少々教えます、その際必ず国語辞典・漢和辞典を手元に準備させてからやります。何を勉強するにも辞書類は必要ですよね。
すばらしい!<br>はい! 辞書は何をするにも友達だと思います!