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ワタタツの日記


2010 年 11 月 13 日 (土)

黄金原本更新

ああ iOS 4.2 の iPad 用 GM こと黄金原本は更新されたのか。 8C134b となったよ。さあさあどうぞ! いつでもどうぞ!!

【もはや最短理解でもなんでもない】なぜ5×3ではなく3×5なのか - 跡地

今初めてここに来られた方へ。

この記事を読む価値はありません。 もはや逆の順序で書いたものを間違いとすること (というより立式のみで考え方を判断すること)は間違いと思っています。 この記事を読むと時間の無駄になると思われますので、黒木玄先生のまとめをおすすめいたします。

以下跡地

この記事では、そういえば掛け算にはそんなルールがあったな などでよく話題に上がっていること、「なぜ5×3ではなく3×5と立式しないと×とされているのか」を最短で理解することを目指しますもはや最短で理解する記事でもなんでもない記事になってきてます。

この話は「小学校2年生で最初に習う一番素朴なかけ算 (同数累加)」の学習過程だということをまず頭に入れてからお読み下さい。 上に最短理解の説明、下に行くにつれて補足的な説明を書いたつもりです。←全然なってませんすみません。

追記: 何も考えず脊髄反射することを批判する部分は取り下げました。すみませんでした。考えて下さった方を批判したいわけではありません。

追記: 「導入としてその順で教えてもいいが、かといって逆に書いたら間違いとするのは間違い」だという意見について。結局自分自身はその通りだと思いました。Twitter 上では明確に間違っていると発言している部分があります。訂正いたします。Togetter はもう訂正できないのでさらし首です。市中ならぬネット中引き回しの上打ち首獄門です。

追記: 状況説明ではなく、自分の意見があちこちばらばらに書かれているのも読みにくい原因だなあと思います。

追記: ばつが全否定だと受け取られているご意見が多いです。自分自身はそうは思っていません。でも実際に有無を言わさずばつとするようなどうにもならない指導もあるという話です。そういうのは不適切と思ってます。

追記: たくさんの反響をありがとうございます。言葉足らずな所、取り扱っていない議題、変なところなど不十分な記事だと思います。扱うべき議題、補足すべきことなどなど、是非ともみなさんの力を貸してください。 大幅書き直し中です。読みづらくてすみません。

かけ算の定義

小学校2年生で最初に習うかけ算の定義から復習しましょう。

追記: ここがさっぱりうまくかけていない。定義と書いていますが、もちろん逆でも正しく定義できるし、最重要な1つ分といくつ分という概念を見いださせるための練習のための指導法の一つであって、いわばローカルルール、全く絶対的順番なわけでもなく、世界共通の固定されたものではないこと。大事なのは1つ分など概念を見いだす力です。ただ、記号を導入するときには m を n 個足すことの略記として m×n か n×m のどちらかのことだと始めることになります。もちろんこの素朴な最初の同数累加のままその後のすべてのかけ算をつっぱしるわけではない。

かけ算の定義
(かけられる数)×(かける数)
かけられる数
「1つ分の数」。元になるひとかたまりの量です。
かける数
「いくつ分」。元になるひとかたまりの量がいくつあるか。

かけ算という考え方はまさに「1つ分の数がいくつ分ある」という日本語の文をそのまま式に表したものです*1。「いくつ分ある、1つ分の数がね。」という不自然な倒置法ではありません。

このページの問題の場合

ここで挙げられている問題では、5枚の皿にりんごがそれぞれ3個ずつのせられており、りんごの総数を聞いています。 この場合、

かけられる数1つ分の数1皿分のりんごの数のこと3
かける数それがいくつ分?それが何皿5

と考えると、立式が 3×5 となります。 注意: 後で書くように1つ分を「それぞれの皿に1個ずつりんごを置いていくという置き方」だと見た場合、1つ分の数を 5 とそれがいくつ分かを 3 と考えられます。これを「定義」になっていないという意見がありますが、ひとかたまりを何と設定するかがいろいろな見方が出来るだけでひとかたまりがいくつという定義が定義になってないわけではありません。

結局何をテストしているの?

結局確かめたいのは、かけられる数(1つ分の数)がどれで、かける数(いくつ分)がどれと見いだせるかどうかを見いだして式を立てられるかどうかです。

2年生でかけ算を習う段階では、「なにがいくつ分ある」というかけ算の元々の意味をきちんと理解した上で式が立てられることと、数の計算の上で可換性があることを知っていて計算に使うことは別だと理解しているか確認するのがこのようなテストです。何が定義で何が定理なのかを曖昧にしたままでは、かけ算という人類の獲得した知性のアイディアをきちんと味わえません。そのへんがもうすっかりわかってしまった我々大人は、もはや最初から逆にした式を書いて計算しても問題なく我々の自分たちの答えに到達できるわけです。

あくまでも立式に意味があり、それはかけ算の意味を表現できることで、そこをチェックしているのが立式の採点部分ですね。←次の追記を

追記: 遠山啓を勉強せよというコメントをいただいたので本を読んだりしてみたのですが、http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/33805606.html にとても興味深い記事がありました。 「「1あたりの数はいくつですか」と問うのが一番良い。」というところ。 1あたりの数が聞きたいんなら、立式で問うのではなく、1あたりの数をずばり聞くのがいいだろうという指摘です。 なるほどと思います。 立式で表現することをやめるべきかどうかは考えないといけないですね。

何が定義で何が定理なのか

5×3と立式することと、3×5 を立式した後で数の性質から 3×5=5×3 とした場合とは全く違うことがわかるでしょうか。

つまり立式はかけ算の定義からなされることです。 その瞬間、単位がとれ、抽象的な数の世界に入ります。この自然数や実数の世界ではかけ算が可換で、自由に順番を入れ換えられますが、それは紛れもなく数に関する定理です。定義からいきなり可換なわけではありません。 自然数の世界に持ち込んだらもはや可換ですから、好きなように順番を入れ換えて計算しても正しいです。好きなように計算して答えが手に入ったらその意味を考えて、単位をつけて最初の問題の答えとなるのです。数の世界からその文章問題の世界にまた戻ってきたのです。

このようにかけ算本来の意味、かけ算の定義がわかっているかどうかがこの問題の立式で問われていることです。(追記: 立式で問うべきではないという意見) 「何がいくつ分」という最初のかけ算のアイディアが身についているかどうかです。 その理解がテストしたいところですから、5×3を正解にするわけにはいきませんね。(追記: 意味がわかっていると確認できれば○という指導がされているそうですが、それは立式で問うべきではないという意見には依然として不適切な指導となります)

じゃあその定義の順番は妥当なの?

箇条書き推敲

  • 確認したいのは、何が1つ分の数なのかいくつ分の数なのかを理解しているか
    • 「「1あたりの数」が何かを見いだす能力なんか必要ない、そんな力は持ってないけど自分は物理も数学も出来る、そんな力をつけるなんてオカルトだ」と言われてしまいました。順番に反論があるのがあるのはいいとしても、1あたりの数自体の概念をオカルトだと反論されるとは思いませんでした。
  • その順番のルールはローカルルールでしょう
    • そうそう。別に逆に表記すると定義してもいいし。上下に書くと定義してもいい。矢印でこれが1つあたりの数と説明書きをかく流儀なんかも創作できます。
  • その表記は強制じゃないか?
    • ある意味強制ですよね (ワトーさんの指摘の通り。そう思います。この順番をこう定義することを人類の英知と言っているわけではないです)
    • 一部の天才を除き、なかなか小学2年生で全てをわかった上でどんどん思考し計算することはできない
    • ほとんどの子どもに対して、まずはこの方法でかけられる数とかける数を見いだして立式してみましょうという補助のためのレールを敷いている作業です。多くの方がおっしゃる通りこの順番で定義したことは、それらを見いだす訓練・練習をさせているのだと思います。
  • で、それ以外の立式が×なの?
    • いいえ。指導事例: そういう答案があったら説明させる→説明できなければ×。説明できれば正解 (例えば「5枚の皿に1個ずつりんごを置く作業」を3回(3巡)したら5×3としたと説明できたら○)
    • そういう指導ができない先生は本当に批判されるべき、いけない先生だと思います
    • この画像からはそういう前後の指導が見えにくいため、批判につながっているのではないか。実際は現場では理解を確認している。計算のみではなく考え方も大事にしている。
    • 3kgの犬5匹と5kgの犬3匹では事象が違う。でも全体重が同じ。この違いによって1当たりの数といくつ分の設定が違ってくることを押さえる。

参考文献

追記

以下もひどい推敲途中ですすみません

以下、たくさん補足しないといけないなあ書かないといけない気がすることメモメモ

  • 結局定義をどちらにしてもいいじゃんについて
  • 立式の意味
  • 理解していることをどう伝える?
  • 「5枚の皿に1個ずつりんごを置く作業」を3回(3巡)したら5×3なんじゃないの、だから×とは限らないじゃないんじゃないのについて

そうです。「5枚の皿に1個ずつりんごを置く作業」を3回(3巡)したら5×3なんじゃないの、は「はい」です。

その場合、かけられる数 = 1あたりの量は「5枚の皿に1個ずつりんごを置く作業」ですから 5 です。

これは普通に皿にあるものを1かたまりと見ずに、トランプを配るような置き方を1かたまりと見るという、さらに抽象概念を持ちだしてきています。 そのような児童がいた場合、目の付け所がすばらしく自分ならばむしろほめるべきだと思います。 そこで有無を言わさずそんな考え方は存在しないという教員がいたらそれはだめです。

「じゃあ×の採点はその可能性の否定なんじゃないの」という疑問はもっともだと思います。

しかし、なにやら×の採点が、その前の授業もその後のサポートも全くなしの、素っ気ない機械的採点だと思われている方が多い気がします。 実際には現場ではその前の授業も行われているし、テストで理解してないところのサポートもされているはずです。

実際にはそこで採点せずに、意味を説明させて意味を理解していたら○をする指導がされていると聞きました。(←これにも批判がある。3×5 は正しく考えたかどうか確認できるのか?という反論。確かに。) 大学では意味を理解している子どももいるから、ちゃんと聞かないといけないと習ったそうです。

  • 英語だと語順が逆なので日本語の定義と逆ですが、これは日本の算数の授業の話なので日本語の語順で定義されるということ
  • 1つ分の数を意識することの重要性
  • 書きかけ

はてブにもいろいろな有用さのレンジでコメントされてます。 これを読まれた方の会話でもさらに深まりました。 そして追記・書き直しの必要性もひしひしと感じます。

*1 英語の文ではいくつ分という意味の n times が前につきますので逆なんです。日本語では「〜がいくつ分」「〜の何倍」という風に後ろから乗数をかけます。だからといって日本の算数の授業で立式から逆にしたものを混同して導入していいという理由にはなりませんが、面白いですね。まさに数学は言語だということです。←なぜかこれが冒涜だと言われている。しかも理由は英語だと times を使うのが多いが逆の言い方もあるというもの。当然日本語でも自然な語順の他に入れ換えた言い方ができるのに、なぜか英語だけどちらの言い方もできる、素敵だと主張されている。

たくさんの反響ありがとうございます

上の記事について、あちこちでたくさんの反響をいただき大変ありがとうございます。 少なくともみなさんがこの問題についていろいろに考えるきっかけになってとてもよかったと思います。

上の記事は、書いてある通り、「そもそも×とする採点が何を意図しているのか」の段階が理解できていない人向けの最短理解を目指して書きました(最短といいながら当初の想像より長くなってしまったのですが)。 したがって、その段階を理解されている方にとっては、さらに扱うべきと思われる議論がない不十分な記事です。 扱うべき議題、補足すべきこと変なところなどなど、是非ともみなさんの力を貸してください。引き続き議論すべき論点を洗い出していただければ幸いです。 みんなでよい算数教育の世界を議論しましょう!

とはいえ、これは大変ですね。 アルファブロガの人はどうしているんだろう。 コメントにひとつひとつそこはこうだからこうですと答えることはしてないのかなあ。適当にかいつまんで答えたり本文に追記したりしているのかなあ。

追記もだらだらやるのではなくて記事を分割した方が読みやすいですよねえ。うーむ。

さらに追記: もはや片手間ではやりとり出来ないほどになってしまいました。一旦このままにしておいて、自分の醜態をさらすことにいたします。みなさんたくさんのいろいろなご意見、ありがとうございました。

本日のツッコミ(全121件) [ツッコミを入れる]
tobariki (2010 年 11 月 14 日 (日) 03:58)

すばらしい記事で納得しました。<br>小学二年生の定義ではそう習っているのですね。<br>「答えだけあってればいい」という誤った風潮に対する良い採点だと私も思います。

50過ぎのおじさん (2010 年 11 月 14 日 (日) 04:13)

私が受けた授業では、3*5も5*3も場合によって正解でした<br><br>3*5は勿論3個*5です<br>5*3は皿に1個ずつ乗せるなら5個、3個乗せるには3回分で5個*3でした<br><br>この問題は1982年か1983年、全国紙レベルでニュースになりました<br>ある小学生が上記な理由で5個*3で不正解>算数のやる気を無くす、というものでした<br><br>この辺の事は「公文」が流行りだしてきて、3*5しか正解でない、というような流れでした<br>単純に答えだけがあってれば良い、というのでなく、<br>説明しだいで正解になる、式だけ書かせる弊害だと思います

一技術者 (2010 年 11 月 14 日 (日) 11:24)

はじめまして。応用数学を専攻していたものとして一言。<br>おっしゃりたいことはわからなくもありませんが、この議論には3つ問題があります。具体的には、<br><br>1.「かける数」「かけられる数」という概念はwell-definedか<br>2.上記両概念は入れ替え可能なのに、なぜ性悪説に立って採点するのか<br>3.そもそも「定義」に厳密に従うことをこの段階で厳密に要求すべきか<br><br>です。<br><br>まず1つ目ですが、これはまさに「5枚の皿に1個ずつりんごを置く作業」を3回(3巡)したら云々、という話と関連しています。つまり同じ問題で「かける数」と「かけられる数」を入れ替えて解釈できてしまうわけです。ということは「かける数」「かけられる数」という概念自体がそもそも問題から一意に定まらないという意味でill-definedであると言ってよいわけです。敢えて言うならば「3を『かける数』とみれば5が『かけられる数』となる、逆もまた然り」と言えますが、だとすればこの両者を区別する意味はありません。<br>2つ目ですが、上の問題を度外視したとしましょう。だとしても3×5=15と5×3=15の一方のみを正解としてもう一方を不正解とする合理的理由はありません。子供がどちらの考え方に立ったか、式を見ただけではわからないからです。考え方を文章にさせて採点するというところまで要求するのならともかく、そうでなければ性悪説に立って頭ごなしに×をつけるべきではありません。そういうところから子供は勉強嫌いになることも多いのですから。<br>最後に3つ目ですが、そもそも小学校というのは概念を定義から厳密に理解させる段階ではなく、直観的に把握させる段階であるということです。そして、「かける数」「かけられる数」の区別に意味がないことに気づく子供は(当時の私を含め)いくらでもいます。そういう子供をたたきのめすことが果たして教育的なのでしょうか?そうでもなければ、まずはZF集合論の公理からはじめて自然数を定義し、加算を定義し、それを元に乗算を定義するなどという、並の大学生でも理解が難しいことを教えることになりますが、本当にそれでよいのですね?もっとも、そこまでやっても「かける数」「かけられる数」がwell-definedでなく、掛け算をどのように定義しようがこの問題には5×3=15と3×5=15という2通りの立式が可能であるという事実には変わりがありません。<br><br>以上、ご検討下さい。

stm (2010 年 11 月 14 日 (日) 11:31)

問題文は「りんごは ぜんぶで 何こ あるでしょう?」で総数が問われているだけです。「定義」は先生が暗黙に問いたいと思っているだけのことに過ぎません。定義を問いたいのならば「授業で習った通りの順番で式を立てて答えなさい」とでも書く必要があります。そうしなければ、掛け算は順番はどっちでも良い、と分かって書いた生徒を×にする理由になりませんから生徒は納得しません。また定義に則っていないという理由で×にするのが仮に許されるならば、高校でも大学でも×にする必要があります。同じ算数・数学上の問題に対する同内容の答えが、答える人の年齢によって○になったり×になったりするのは馬鹿げています。<br><br>六年生で掛け算の順番を逆にしても良くなるのは、「授業で先生が逆に書いても良いと許可したから」というのが本当のところではないでしょうか。<br><br>乗法の可換性を理解していることが明らかな生徒に対して、言っていることが正しいのに「お前の発達段階はまだ未熟だからそういう理解は順番的に許されていない」などという答えは到底容認できません。<br><br>そもそも二年生の初等算術の教育の段階で、定義と定理の違いを問題にすることの方が余程発達の順番を踏み外しているかと思います。採点者は単に、授業内容が頭に入っているかどうかを問いたいだけだと思われます。

moveccr (2010 年 11 月 14 日 (日) 11:41)

それを小学生の時に×されたひとりですが。<br>今ならわかりますが当時は理解できませんでしたね。<br>私としては、ベクトルの外積をする時(演算が非可換になる時)まで、こんな定義を教育に導入する必要は無いのではと思います。小2の時期にこれを定義しても、役に立つのは高校生になってからなので、どうかと。<br><br>定義は非可換だけど演算は可換ですよ、って小学2年で理解できるのはよっぽど頭いいか、先生の言うことは無批判で受け入れるかのどっちかじゃないかな。

logic_master (2010 年 11 月 14 日 (日) 12:11)

遠山啓を読んで考え直してください。

しょーた (2010 年 11 月 14 日 (日) 14:52)

えっと、ご自身で唱えておられるのは「数学ないし算数における定義」ではなくて「日本語の語順」の問題であることをご理解ください。<br><br>英語で教える学校ではお説とまったく逆順の式を教えますよ。<br>日本語順の立式を誤答とするかどうかまでは知りませんが。<br><br>そこでそして整数の乗算には可換性があるからどちらでもいいのだと教えないのはナンセンスです。<br>どうでもいいことに拘って学習者が理解を深める機会を奪っている。

加冠 (2010 年 11 月 14 日 (日) 14:59)

1)「一皿あたり3個乗ってる皿が5枚あります」も「5枚の皿に3個ずつ乗ってます」もどちらも不自然な日本語とは感じられません。 <br>2)主張の出発点となっている「”かけられる数”は”1つ分の数”である」という「定義」は、教育指導要領にも記載されていないようです。<br><br>掛け算の定義、とか、「数式が表現する事象」とかといった大げさなものではなく、苦手な子向けの指導上の便法としてなら意味はあるのかなあ、と思いますが、それにしてもバツをつけちゃうのはあきらかに便法を逸脱しているし。<br><br>この問題について、かつて小学校の先生と議論したときにその先生は「こう決めておかないと、問題文に出てくる数字を適当に並べて演算子入れて答え出す子供が出てくるから」とおっしゃってたんですが、これが今まで出会った中でもっとも説得力のある説明だと感じています。それでも誤解を承知で言えば「それの何が悪いの?」ですけど。一般に数字に強い人・計算が速い人っていうのは、適当に数字並べて計算して(正しい)答えを出してるんではないかな、と思いますので。

心は萌え (2010 年 11 月 14 日 (日) 15:07)

いいけど、5x3と3x5の違いを覚えることが子供の将来の何の役に立つと思って出題して、採点したのかを書いてほしい。

通りすがり (2010 年 11 月 14 日 (日) 15:14)

>(かけられる数)×(かける数) <br>そもそもこの順番って固定でしたっけ?<br>変えてはいけないって習った覚えは無いんですけど、変えても良いと習った覚えもない。ぶっちゃけ記憶が無いんですが、今の小学生ってどう習ってるんでしょ?<br>根本的な問題なのでご教示いただければと思います。<br>むしろ順番とか分割とか計算を容易にするためガンガン弄れって習ったような記憶が。。。うろ覚え。

b. (2010 年 11 月 14 日 (日) 15:31)

>かけ算の定義<br>>(かけられる数)×(かける数) <br><br>文部省の指導要綱がどうなってるのかは知らんが、この決め付けがすでに数学的には間違いなのは明白。<br>掛け算の概念を教える際に有用であることは認めるが、5×3と展開できる子は、すでに掛け算の概念をマスターして抽象的思考ができているので、そういった制限を加えることは、数学的思考の成長をむしろ阻害する虞もある。というか、そういう基本ルールに縛られていると、式の展開とか不可能だろ? <br>教師や学校が決めた意味のない約束事をきちんと守れる子が望ましいというのはわからなくもないんだが、テストの出題者の意図を汲むことこそが重要という考え方は、子供をダメにするんじゃないかと思うな。そもそも出題者によって、そんなのマチマチだろ。問題を解く過程もいくつもあるのが普通。だから、最終的な答えが合っているかどうかだけで判定するのが算数での公正なやり方。<br>「答えは合ってるけどオレの意図と違うから×ね」ってのが許されるのか。最近の学校は。

別のケースで (2010 年 11 月 14 日 (日) 16:03)

小2ではないかもですが、<br>項が複数あって、順番が統一されてない場合の採点はどうしましょう?

あはは (2010 年 11 月 14 日 (日) 16:08)

ばーかばーか

BTB (2010 年 11 月 14 日 (日) 16:09)

>通りすがりさん<br><br>>>(かけられる数)×(かける数) <br>>そもそもこの順番って固定でしたっけ?<br>そこは小学校の段階ではそういう「定義」なので固定でしょう。<br>式として表現したときに後ろにあるのが「かける数」です。<br>一般的には日常用語で「何倍」と表現する部分が「かける数」に入れる値ですかね。<br><br>>むしろ順番とか分割とか計算を容易にするためガンガン弄れって習ったような記憶が。。。<br>あくまで計算をするだけであればそれで問題ないんですよ。<br>ただ式を立てる時点で、式の意図を理解できていないと、<br>単位を扱い始めたときに苦労しそうな気はします。

togetterでの議論を読みましたが (2010 年 11 月 14 日 (日) 16:30)

数に単位(次元)があるんだよ、ってことを直接教えればいいのに、無駄なローカルルール (教える側が全員正しく教えられないことがtogetterで例示されていましたね) を導入してるからモメるんだと思います。<br><br>数に単位があることを教えられない教師が無能なのであって、以下の記述は全く的外れでしょう。<br><br>> 「教師が無能」「指導力不足」などと言う。実際はそういう親や大人が思考不足なだけなのに。こういう「何でも教師がおかしいと主張する」風潮が怪物親を産むのです。

通りすがり (2010 年 11 月 14 日 (日) 16:33)

いや、失礼ですが思考を停止しているのはあなたではないかと。<br><br>5×3と回答しても、それが「5(個)×3(皿)」と考えているのか「5(皿)×3(個)」と考えているのか、それだけではわかりませんよね?<br>それを「5(個)×3(皿)」と決めつけてバツにするのは教員が批判されても仕方ないと思います。<br><br>てか件のページの設問が酷いですね。<br>こんな曖昧などうとでも取れる設問で、解答は厳密な定義に則ることを要求されるなんて。<br><br>そしてこういう教育を受けて、<br>「教えてもらったこと以外はバツになるので出来ない」<br>「教えてもらってないので出来ない」<br>「教えてもらわないと何もできない」<br>という世代が生まれてきて、これからも量産されていくわけですな。

山田 (2010 年 11 月 14 日 (日) 16:36)

立式がおかしいというのは10+5=15とか違う構造から結果だけ正しい時の話で、この場合はどちらの順序でも登場人物の把握と意味合いは理解してるから書ける訳で、正しい。<br><br>誤りとするのは単に数学に存在しない勝手な順序定義を押し付けているだけで、むしろルール違反では?こういう数学的意味以外の話を押し付けると、さらに上級になったときに式変形とかに無意味に意味を求める思考になり、むしろ数学ができなくなると思いますよ。

通りすがり (2010 年 11 月 14 日 (日) 16:44)

他にも通りすがりさんがいたのか。<br>16:33に書いたのは自分で、15:14の方とは別人です。もうしわけない。

少しズレますが (2010 年 11 月 14 日 (日) 17:04)

なら、こういう場合に3+3+3+3+3=15って書いたら〇にするんですかね。<br>掛け算でとの指定はないし、算数の上での考え方は間違ってないと思いますが、教員によっては×にする気がします。

通りすがりの理系大学生 (2010 年 11 月 14 日 (日) 17:11)

オリンピック等の陸上リレーで「男子4×100メートルリレー」って表記しますよね?これって間違ってるんですか?

imo758 (2010 年 11 月 14 日 (日) 17:12)

順序を問題にするなら「むしろ3x5が誤り」。出題者は引掛問題をつくったつもりなんだろうが、本質的にかけられる数とかける数そのものまで逆にしているので、かけられる数が5(皿)、かける数が3(皿/個)のほうが自然。<br>言語感覚的にはかけられる数が先であることが自然であり、かける数は後のほうが自然。<br>採点者といい、本エントリーといい、ほんと酷いなこれは…。

かとりょー (2010 年 11 月 14 日 (日) 17:32)

アメリカでは逆の順番ですよ?<br><br>http://thebluebird.blog39.fc2.com/blog-entry-247.html

ambi (2010 年 11 月 14 日 (日) 18:14)

次のような考え方はありえないでしょうか.<br><br>小学校で習う掛け算の定義: a×b=a+a+…+a (aがbコ) と足し算の可換性から掛け算の可換性を導く過程を小学生に理解させるのは困難です.従って,小学生にとって,整数の可換性は定義から導かれる「定理」ではなく,むしろ,仮定すべき公理(定義)の一つです.ところが,この公理は決して素朴な公理ではありませんから,先生は,この公理の妥当性を説明することになります.そこで先生が引き合いに出すのは「1枚の皿にリンゴを3つ置く作業を5回繰り返しても,5枚の皿に1個ずつリンゴを置く作業を3回繰り返しても,結果は同じ」だという常識的議論です.このような議論によって,小学生は掛け算の可換性を理解します.<br><br>上に書いたような考え方に従うと,ある先生が「5×3」にバツを付けるという姿勢を押し通すなら,その先生は,掛け算の可換性を説明できなくなるように思われます.

Keika (2010 年 11 月 14 日 (日) 18:15)

通りすがりですが、今ひとつ納得がいきません。<br>なぜ「3個りんごが乗った皿」をひとかたまりとして考えねばならないのでしょうか?<br>追記にあるように「5枚のお皿がある」「みな同様に3個づつりんごを乗せる」という順に考えれば「5×3=15」という考え方になると思うのですが。<br>元の問題にも「3個のりんごが乗った皿」が「5セット」あるなどという書き方はしていません。であるにも関わらず、状況の捉え方自体を解答から規定するというのは理不尽です。<br>「後出しじゃんけん」を納得するような子供に育って欲しくは無いですよ、私は。

skimario (2010 年 11 月 14 日 (日) 18:57)

Keikaさんに同意。それを考えた時から掛け算の前後を気にするのは止めました。<br>そして×になろうが知ったことではないと。まぁ先生からすれば、嫌な子供だったでしょうね。

mrkn (2010 年 11 月 14 日 (日) 19:03)

乗算は、加算から定義されます。先に (かけられる数) が複数個存在しています。 (かける数) は (かけられる数) の個数を数えて初めて登場するものです。ですから、(かけられる数)×(かける数) の順番は逆にはなりません。<br><br>これを入れ替えても正しい事は、その次のステップとして証明される定理です。

mrkn (2010 年 11 月 14 日 (日) 19:07)

> まぁ先生からすれば、嫌な子供だったでしょうね。<br>skimario さんは、なぜそう思われるんですか?どうして、当事者の気持ちが分かるんでしょう?その理由が聞きたい。<br>先生や生徒がどう感じているか、例の写真から何が分かるというのか。<br><br>そんなことよりも、小学生たちが算数を嫌いにならず、かつ、将来数学を学ぶ際の障害にならないような理解の仕方を教えてあげられる方法を考えたほうが良いと思います。

やれやれ (2010 年 11 月 14 日 (日) 19:15)

こんなことやってるようじゃ、小学生のころまじめに勉強してたら算数嫌いになってただろうな。つまらないことやめて、もっと算数の楽しいところ伝えるような教育しなよ。

gaa (2010 年 11 月 14 日 (日) 20:37)

この記事を書いておられるときの鼻息の荒さと、脊髄反射している人の有様ってたいして距離がないと思いました。<br>書かれている内容ではなく、バカを啓蒙してやろうという記述の仕方に納得がいかないってこともあると思うのです。

mrkn (2010 年 11 月 14 日 (日) 20:58)

残念ですが、この記事を読んでも、例の問題で 5x3 が間違いで 3x5 が正しいと "小学生に対して" 強制できる理屈は分からないです。<br><br>かと言って、小学生相手に無根拠で a x b = b x a であると教えて良いわけでもないでしょう。すべての自然数について乗算が可換である事の証明は難問ではないけど自明でもないですから。<br><br>数学における意味と、学ぶときの楽しさとを共存させる良い方法を探すのは難しいですね。

(2010 年 11 月 14 日 (日) 21:29)

これはカルト教団「かける数とかけられる数の順序が大事教」とその他の人の論争ですね。<br><br>順序が大事、と言ってる人たちは「教育課程で重要なのでここでの不合理は飲み込め」と言ってるようですが、その不合理を許容すべき根拠は薄弱でエビデンスに欠ける。<br><br>これじゃ教育学とか教育工学とか教育心理学とかの「学」に属する問題でなく、「信条を前提なしに信じなさい」と言ってるに等しい。だから宗教。<br><br>教育の過程で、個々の理解の仕方や獲得概念のレベルに合わせて、様々な不合理な制限や例えを「方便」として使用することそのものはアリだと思う。<br><br>でもこの「掛け算は順序が...教」の特定の方便だけが正当だから「×が付くのは当然」すなわち、他のやり方を認めないってのなら、ちゃんとデータを出してこの方便が最適であることを証明していただきたい。<br><br>どんな方便も後で学問が進めばつじつまをあわせる必要が出てくるわけだけど、こんなに論争になるほどの多数が「?」と思うような大きな不合理が採択されるなら、それに匹敵するメリットが明確に存在することを示さないとダメでしょ。<br><br>科学と宗教の直接対話は人類の歴史上ほとんど成功してないから、こんなこと書いても多分無駄だろうなと思ったり :-p

通りすがり (2010 年 11 月 14 日 (日) 21:37)

>かけ算という考え方はまさに「1つ分の数がいくつ分ある」という日本語の文をそのまま式に表したものです*2。「いくつ分ある、1つ分の数がね。」という不自然な倒置法ではありません。<br><br>について、<br><br>日本語として「3つのリンゴが乗った皿が5つある」という表現と「5つの皿に3つずつのリンゴがある」どちらも不自然ではないと思います。<br><br>また文章を「直訳」した数式でなければならない理由も無いように思います。<br><br>「何を意図してそのように採点するか」はわかったのですが、その正当性については疑問が残ります。。

眠れぬラム (2010 年 11 月 14 日 (日) 21:53)

Keika (2010 年 11 月 14 日 (日) 18:15)さんに賛成です。<br>北䑓如法さんが「5枚のお皿がある」「みな同様に3個づつりんごを乗せる」というイメージを誤りだとして切り捨てる理由、<br>それを全部の2年生に納得いくように教える方法、<br>どちらにもとても興味があります。<br>続きの記事がとても楽しみです。

ワトー (2010 年 11 月 14 日 (日) 22:15)

直感が許されざる悪ならば、私の書き込みも悪となるのですが、私が思うに教師は職人さんと同じで、生徒一人ひとりの持つ素材を最大限引き出すのがプロの教師だと思います。<br><br>なので足りないのは生徒との会話で、「なぜこの答えが間違っていると思う?」という問答があったのかどうか、みなさんの経験則から疑問に思っていると思います。偉いのはルールではなく、どう理解するか。<br><br>型にはめるほうが効果的なものと、そうじゃないものがあることを前提にすべきで、その前提をすっ飛ばしてルールを優先させるのは教師の怠慢と言われても仕方がないと思います。<br><br>この記事の説明は素晴らしいですが、一人ひとりに理解させるのは物理的に不可能であるかもしれず、「このルールに関しては型にはめる」と正直に言ってしまったほうが大事な目的(数学の取得)の成就に近い気がします。<br><br>まずルールは教えておいて、生徒がある程度理解してから掛け算の可逆を自主的に行い始めた時が教師の出番で、「実はこれ、間違っているんだよ。」と教えれば生徒は驚きを持って理解します。固定観念から解き放たれる快感は子供の場合大人の比ではありません。子を持つ親としてそう思います。<br><br>コラテラルダメージという言葉がありますが、大目標のために多少の犠牲は仕方がないことが多々ありますが、この場合「やる気を削ぐ危険性」とそのダメージは、ルールを超えて深刻であると感じます。子供は愛すべき存在であると同時に「生もの」でもあると思いますから。<br><br>この問題でバツを喰らった生徒が、その場ですぐ教師から教えを受け、驚きと正しい理解を手に入れられたことを願ってやみません。

b. (2010 年 11 月 14 日 (日) 23:02)

三角形の面積は、たいてい、<br><br>底辺×高さ÷2<br><br>と習うと思うんだけど、底辺が単位数で高さが個数だなんてどうやって説明するの?<br>幅1cmの帯を何個積み上げるかって話になるのかな?<br>証明大変そう。<br><br>掛け算の概念がとても難しくて小学生には理解しがたいものであるのならともかく、たいていの小学生はその辺は一発でクリアするでしょ。数学に抽象思考は必須であり、多くの小学生はそれくらいは簡単にこなす。<br>掛け算の概念を理解できないレベルを対象として指導するのは悪いことではないと思うんだけど、そのレベルしか相手にしないってのは問題だよね。<br>まして、意味のない屁理屈で子供を言いくるめるって手口が許されるべきではないと思う。<br>つか、いつから日本はこうなったの?<br>40年前は違ったぞ?

twitterから来ました (2010 年 11 月 14 日 (日) 23:14)

がんばれ現場の先生。<br>こんな机上の空論や始めから批判するのが目的みたいなコメントに負けんな。

ardbeg1958 (2010 年 11 月 14 日 (日) 23:15)

この問題では、いっそ x という記号(演算子)を使わない方が良いのでは、と思いました。x という演算子に多重の意味を持たせるのは心理的抵抗があります。<br>自分の子供のころを考えても、みかけが同じで意味の違う演算子を教えられたら混乱してしまったと思いますね。<br><br>しかし、どうしても x を使うというなら<br>【3】x 5 = 15<br>というように「ひとかたまりの単位を表す」オペランド(被演算子)に特別なマーク(ここでは【】)を使って普通の数式とは違う形にするとか・・・<br>これなら<br>5 x 【3】= 15 <br>としても、「5 回【3】を繰り返す」と読めますしね (^^)<br><br>こうしておいて、<br>5 x 【3】= 【3】x 5 であり、その先に<br>5 x 3 = 3 x 5 があることを教えるという方法も?

数学の教育免状持ち (2010 年 11 月 14 日 (日) 23:20)

小学校でこんなことを習った記憶がありませんが、この説明では正しい・正しくない以前に、数学としての体を成していないように感じました。<br>簡単に説明するため、厳密に説明すべきところを、はしょってるのかも知れませんが…<br><br>私事ですが、僕は中学で数学に強く(&好きに)なりました。<br>小学校では特に算数は好きでも嫌いでもなく、成績も普通でしたが、中学で教える数学でその面白さに引き込まれました。<br>そうなると成績も自然とあがって、同学年450人中トップになったこともあります。<br>小学校で教える算数は、数学とは別物のように思います。<br>ここでの話題も、数学と言うよりは教育学のように感じました。

togetterでの議論を読みましたが (2010 年 11 月 14 日 (日) 23:20)

無駄な議論が出そうなので先手を打ってみるテスト :-)<br><br>> なぜどうせ後の計算では可換なのに定義を非可換にする必要があるの?<br><br>多分単位数が云々というお話でしょうが、単位数(数の次元)を教えるのにこの方法は無理があるやり方です。実際にtogetterで、きちんと説明できない先生にあたってトラウマになった方がいましたよね。<br>同様に、割り算との対比も無意味です。ベクトルは論外(あれは別の計算です)。<br><br>> 結局定義をどちらにしてもいいじゃんについて<br><br>仮に定義があったとしても、書き手の主観によってどうとでも書けるようなものは定義の体をなしていません。<br><br>togetterにもありましたが、「お作法」と言ってしまえばそれで済む話なのに、「人類の叡智が〜」とか「定義〜」とか大上段に構えるから話が変な方向に行ってしまうんですよ。<br><br>> 立式の意味<br><br>国語的な文脈の話をしているのであれば、問題が悪いの一言で終わりでしょう。情景を捉えるのに、お皿が主になる子供に「お前の考え方が間違っている(仮に△や○にしたとしても)」と言うことに合理性も正当性もありません。<br><br>> 理解していることをどう伝える?<br><br>国語的な問題なら、計算の課程を作文(説明)させればいいんじゃないでしょうか。どのみちこの方法では観測したい「事象」を捉えられませんから。いずれにせよ、教育側のコストを下げる (言葉は悪いですが、ヘボな教師によるトラウマを生まないようにする) には、教師側がちゃんと説明できない無理筋な説明は可能な限り減らしたほうが良いんじゃないですかね。<br><br>小学校の先生がトラウマになってる一人として。

こういう話は結構好きです (2010 年 11 月 15 日 (月) 00:57)

この手の話は大好物なのですが、面と向かってじゃないと批判合戦になって、誰かを無駄に傷つけるかもしれないし、自分も無駄に傷つくかもしれないので、二点ほどさらっとコメントさせていただきたく思います。<br><br>1このテスト(ですか)の重要度です。生徒の人生に大きく関わるテストであれば、試験運営側の他の先生の意見も聴いた上で判断するのが適当でしょう。5×3が駄目というのは、生徒の評価につながるような話では酷な気がします。<br>2次に、あくまで教育的意味のテストであるなら、教師個人の意見を通して×にし、その上でどういうことなのかを、説明し、生徒の意見も聴くというコミュニケ-ションの材料にしてもよいでしょう。テストでは解答でしか生徒は表現できませんが、真に教育的な意味があるのはその過程でどう考えたかです。教えた通りのやり方じゃないなら、どういう考え方なのか突っ込んで、修正しておくのは悪いことでは無いと思います。

namae (2010 年 11 月 15 日 (月) 03:16)

さらが 5まい あります。<br>1さらに りんごが 3こずつ のって います。<br>りんごは ぜんぶで 何こ あるでしょう。<br><br>これを一行ずつ読んで行くと、<br>「さらが 5まい あります。」では、<br>何も乗っていない皿が5枚思い浮かびます。<br><br>次に、「1さらに りんごが 3こずつ のって います。」では、<br>何も乗っていない状態だった皿に、リンゴが3個ずつ乗って行く様が思い浮かびます。<br><br>だから 5×3 つまり5枚の皿に3個ずつ乗っていると考えたとしても可笑しくないでしょう。そしてそれは間違っていないとも思いますし…。<br><br>実は最初に読んだ時は「1さら」の「1」を飛ばして読んでいて、「更に林檎が3個ずつ乗っています」と読んでいました。<br>こんな人いるのかな…。

50過ぎのおじさん@今日のツッコミ2番目 (2010 年 11 月 15 日 (月) 03:54)

ここでもブコメでもtogetterでも大盛況ですね<br><br>最初のtobarikiさんの「今日のツッコミ」への脊髄反射みたいなものですから、私も無責任なんですが、<br>この問題は古くて新しい、多分結論は出ないでしょう<br><br>少なくとも私が授業を受けた1969年には両方の考え方を習ったので、<br>1982年か1983年の時も理不尽に思いました<br>(その時は、当の小学生がキチンと説明できてました<br>毎日新聞でしたから探せると思います)<br><br>ブコメにあった「1から100までの合計を求めるガウスは不正解」が気になります

b. (2010 年 11 月 15 日 (月) 04:06)

最近の動向はわからないので教えてください。<br>「かごの中にりんご3個あります。さらにりんご5個入れました。全部で何個ありますか?」<br>という問題は,<br><br>○ 3+5=8<br>× 5+3=8<br><br>だったりするんですかね。最近の小学校は?

しらちゃ (2010 年 11 月 15 日 (月) 04:08)

はじめまして.<br><br>まあ,この×は妥当ですよね.<br>それよりも,この話し楽しもうと想えば,自分が先生なら先生ならどういう教育をしようかと考えるのがいいかもしれません.<br>(もちろんこの答案を付けた先生を批判してはならないという前提の上で.)<br><br>たとえば,テスト用紙に,積演算の定義を書いておいたらどうだろう?<br>もちろん,掛ける数,掛けられる数の定義も一緒に.<br><br>そもそも,定義を暗記することには,この場合あまり意味が無いはず.<br>にもかかわらず,ここで(この学年でしか用いないような)積の定義に関する妙な暗記を要求しているのではないだろうか.<br>(もしかしたらテストの別部分に定義があるのかもしれませんが,その場合はそれでいいや)<br>これが根本的な理不尽さの原因なのでは無いだろうか.<br><br>おそらく,定義を記述しておけば,<br>単に思い出せないため,妥当な立式を行うことが出来なかった生徒と<br>定義を飲み込まずに,妥当な立式をしていない生徒を区別することも出来るでしょう.(単に文章題に出てきた順序に数を掛けた生徒など.)<br>この区別は,テストの後にどの様に生徒に教育を施すべきか,より多くの情報を取得するチャンスになります.<br><br>悪いのは人でもなんでもなくて,仕組みではないかなと.<br><br>草々.

o (2010 年 11 月 15 日 (月) 08:17)

数学を実際学習するのは苦手というか嫌いです。<br>ただ算数は好きだったし、平均的には出来ていたと思います。<br>なぜかといえば、文章問題が多かったんです。<br>つまり読解力、国語力(日本語力ではなく)があれば、少なくとも式は立てられたし、計算ミスをしなければ、答えも正確にだせました。<br><br>小学校に通う児童たちに一体どのようなことが出来るようになってほしい、と社会や大人は思っているのでしょうか。<br>個人としては、国語力(もう一度いいますが、決して日本語力ではありません)を養成するというのは、勿論絶対そうだと言うわけではなく、教育にとっての重要な課題の内で本当に大きな1つだと思っています。<br>なぜ母語で書かれた文章を元に児童自ら式をたて、答えを出さなくてはならないのか。<br>しかもその文章は、ただ事実を羅列し、そこに至る過程や背景は一切排除されていますね。想像の余地も、読むべき行間もそこにはありません。むしろそういったことを、してほしくないという拒絶すら自分は感じました。<br>更に言えば、まさかこの無味乾燥な文章問題に意味が無いとは思わないし、理由の欠片なく設置された訳でもないと思っているのです。<br><br>最後に、確か、式を元に(しなかったときもあったかも知れません)母語で問題を作らなくてはならないテストもあった様に記憶していますが、みなさんはどうでしたか。

夢とか希望とか (2010 年 11 月 15 日 (月) 09:26)

・そういう指導ができない先生は本当に批判されるべき、いけない先生だと思います<br>この一文で自説に都合の悪い状況を排除しているところが説得力を落としている原因ではないでしょうか。<br>「そういう指導の出来る先生」がどのくらいいればわざわざ「車輪の再発明」せずにすむとお考えでしょうか。

ワトー (2010 年 11 月 15 日 (月) 09:28)

ドラゴン桜の受け売りで恐縮ですが、この設問は立式という基礎の理解度を確認するという意味では良問で、意外とハイレベルで、東大入試問題に通ずる良問だと思います。<br><br>東大は教科書を完璧に理解すれば合格が可能で、出題側も基礎を正しく理解しているかを試すような良問を意識して作っているとのこと。学問の王道を自負する東大の考え方が根底にあるようです。<br><br>そのことと合わせて、問題文が長ければ長い程、簡単であるともドラゴン桜では言っています。つまり、問題に<br><br>「かけられる数を(一皿分のりんごの数)とし、かける数を(お皿の枚数)として、正しい式も書きなさい。」<br><br>という一文があれば、問題の難易度は低い、ということになります。<br><br>大人でも議論になるぐらいだから、くだんの問題はハイレベルな良問と言えると思います。そして、ハイレベルな答えを教えるには当然ハイレベルなコーチングが要求されると思います。<br><br>このコーチングの部分にトラウマを抱える生徒と教師が多いことが一番の問題だと考えます。<br><br>わたしの書き込みで「掛け算の可換」を間違って「掛け算の可逆」と書いてしまった部分があるのですが、試験なら点がもらえなくて当然ですが、教育って、「え、可換も可逆もそんなに変わらないジャン」と疑問をもった時ほど重要な役割を果たすと思います。<br><br>また、そのような疑問を引き出す設問と、理解を導くコーチングを求められる教師というのは、「聖職」と呼ばれるに相応しいプロフェッショナルであり、また教育道とも呼べる厳しく果てしない道であるとも考えています。この道に正しい答えというものがないんですから。<br><br>大事なのは、子供たち。教師を孤独な闘いに追い込まず、親も最大限教育の環境を整えるために教師と協力しないと、前に進めないでしょう。単なる理想論ですが、とりあえず全員でゴールを決め、共有し、その方向に向かないといけない事はみなさんよく理解してらっしゃると思います。

t-tanaka (2010 年 11 月 15 日 (月) 09:39)

「掛け算の表記順序は(たとえ計算上可換であっても)習慣的に順序が固定されていることがある」という一般則でまとめられるような気がするのですが。<br><br>中学以上の数学でも「3x」を「x3」と書くことは(計算上は同じ値になるはずなのに)許されていません。<br><br>アインシュタインの質量・エネルギー等価の式「E=mc^2」も,(変化しない定数)×(変化する変数)という中学数学の表記ルールでは「E=c^2m」と書くのが自然なはずですが,物理の「習慣」にしたがって前者の順で書くのが「正しい」とされています。<br><br>小学校の算数では「(ひとつあたりの数)×(いくつ)」の順で書くのがお約束であるにすぎません。ですが,算数において「しき」は単なる計算用紙ではなく,「なぜ,その答えが出たのか」を伝えるためのものです。人にものを伝えるためには,決められたお約束にしたがった書き方をする必要がある,ということでしょう。<br><br>>b.さん<br><br>Togetterでの議論でも出ていますが,掛け算の可換性と足し算の可換性は本質的に意味が違います。<br><br>掛け算では×の前後は「違う種類の数」です。一方,足し算は+の前後は「同じ種類の数」です。「(長さ)+(長さ)」「(時間)+(時間)」は許されますが「(金額)+(回数)」などは許されません。そのため,表記の順序は掛け算ほど重要視されません。

togから来ました (2010 年 11 月 15 日 (月) 15:15)

>5×3と立式することと、3×5 を立式した後で数の性質から 3×5=5×3 とした場合とは全く違うことがわかるでしょうか。<br>>つまり立式はかけ算の定義からなされることです。<br>いやいや,それは定義から一意じゃなくて日本語の文章の読解次第でしょ.<br>問題文読んで,5(皿)あって,1皿に3(個)ある,でも立式可能.<br><br>一般に乗法が非可換であることや実数体上では可換であることとは全く別次元の問題では?

ふるふる (2010 年 11 月 15 日 (月) 16:54)

加冠 (2010 年 11 月 14 日 (日) 14:59) さんの、<br>「こう決めておかないと、問題文に出てくる数字を適当に並べて演算子入れて答え出す子供が出てくる」<br>が大事だと思います。<br>問題文にでてくる数字は3つ(1,3,5)ですが掛け算を教えている中で、生徒は「×1は意味がないから、3と5を掛ければいい。3×5より5×3の方が簡単だから5×3と書こう」と考えていたのかもしれません。<br><br>文章題では、使わない数字を含ませるといいかもしれませんね。もしかしたら「関係のない数字は問題文に含ませないこと」という決まりがあるのかもしれませんけど。<br>暗黙のルールとして「問題文にある数字は何処かで使う」を逆手にとって式を考えるというケースがあるわけですが。

gaa (2010 年 11 月 15 日 (月) 19:28)

>>>つまり立式はかけ算の定義からなされることです。その瞬間、単位がとれ、抽象的な数の世界に入ります。この自然数や実数の世界ではかけ算が可換で、自由に順番を入れ換えられますが、それは紛れもなく数に関する定理です。定義からいきなり可換なわけではありません。自然数の世界に持ち込んだらもはや可換ですから、好きなように順番を入れ換えて計算しても正しいです。好きなように計算して答えが手に入ったらその意味を考えて、単位をつけて最初の問題の答えとなるのです。数の世界からその文章問題の世界にまた戻ってきたのです。<br><br><br>3 [個/皿] x 5 [皿] = 15 [個]<br>3つのリンゴが乗った皿が5つある<br><br>5 [皿] x 3 [個/皿] = 15 [個]<br>5つの皿に3つずつのリンゴがある<br><br>かけ算を[個/皿] x [皿]と定義すると前者は正しく、後者は誤りです。<br>ですから、後者をかけ算の定義([個/皿] x [皿])で解釈するのは明らかに、当然に、絶対に、必然的に、いやそもそも定義的に無理なのです。<br>しかしだからといって、単位があっても後者が不自然ということはないでしょう。<br>かけ算を[個/皿] x [皿]と定義すると、前者が自然に思えてくるというだけのことです。<br>そもそも前者のみが自然だという主張はそんなに必要なことなのでしょうか。<br>小学生が混乱しないように、前者のように便宜的にかけ算を定義しているという説明だけで十分だと思うのです。

上野そあら (2010 年 11 月 15 日 (月) 20:58)

>英語の文ではいくつ分という意味の n times が前につきますので逆なんです。<br>>日本語では「〜がいくつ分」「〜の何倍」という風に後ろから乗数をかけます。<br>>だからといって日本の算数の授業で立式から逆にしたものを混同して教えていいという理由にはなりませんが、面白いですね。<br>>まさに数学は言語だということです。<br><br>これはひどい。本当にひどい。最悪。<br>数学も言語もいっぺんに冒涜してる。なかなかの離れ業ですね。<br><br><br>勿論3×5はアメリカでは慣用的に"three times five"が用いられています。<br>これの意味するところは3倍の5です。たしかに日本と逆の順序で考えられています。<br>・・・まぁここまでは良いでしょう。<br><br><br>さて、話は変わりますが。<br>「乗算」が英語で何と言うかご存知でしょうか?<br>答えは"multiplication"です。"timication"じゃないですよ。<br><br>英語が面白いのはここからで、このmultiplyを用いた乗算の表現法も存在するんですが、<br>それがこの"three multiplied by five"です。<br>これの意味するところは「3によって乗じられた5」で、なんと日本と同じ順序なんですよ。<br>・・・ね?面白いでしょう?<br>一つの数式に二通りの解釈を持った表現が生まれる。<br>言語レベルで可換則が成り立ってるんです。素敵でしょ?<br><br>結局のところ、日本とアメリカで乗算の順序が逆、なんてのは慣例的にtimesの方が多用されてるだけの話であって、<br>英語では乗算の順序に意味を見出すのは言語レベルで不可能なんです。<br>「乗算の順序には意味がある」という結論ありきでしか物事を見れないから、<br>英語のシステマティックな美しさにも気付かずに短絡的に英語だと順序が逆!やっぱり順序には意味がある!なんてワケの解らん誤謬に陥るんですよ。<br>誰かの受け売りだけじゃなくて、ちょっとくらいは自分で頭使って考えたらどうですか?

上野そあら (2010 年 11 月 15 日 (月) 21:01)

よりによってとんでもないところ誤字ったー!<br>正しくは「5によって乗じられた3」です!

通りすがり (2010 年 11 月 15 日 (月) 22:21)

教育指導要領が「下限」になってからは全く通用しない話ですね

のののの (2010 年 11 月 15 日 (月) 23:08)

すごくおもしろい問題だなぁと思いました。<br>いい年齢の自分がすでによく分からない。<br>でもいろんな意見があって答えはひとつじゃないような問題は<br>小学生にとっては、いい問題とは言えないと思うので、<br>そんなに昔から議論されている問題であるならば、<br>式の部分をテストで問うのをやめてほしい。<br>それかもう少し難易度を低くし、出題の仕方に工夫をしてほしい。<br>算数?数学?のおもしろさに到達する前に反感ばかりが残ってしまう気がしました。

togetterでの議論を読みましたが (2010 年 11 月 15 日 (月) 23:38)

> ワトーさん<br><br>> ドラゴン桜の受け売りで恐縮ですが、この設問は立式という基礎の理解度を確認するという意味では良問で、意外とハイレベルで、東大入試問題に通ずる良問だと思います。<br><br>> 東大は教科書を完璧に理解すれば合格が可能で、出題側も基礎を正しく理解しているかを試すような良問を意識して作っているとのこと。学問の王道を自負する東大の考え方が根底にあるようです。<br><br>> そのことと合わせて、問題文が長ければ長い程、簡単であるともドラゴン桜では言っています。<br><br>ちったぁ自分の頭で考えろよ馬鹿、その首の上に載ってんのはカボチャか? という言葉を謹んでお贈りします。単純化された言説はわかりやすいし、世界を理解する一助になる場合もありますが、大抵は枝葉を切り落したものですし、枝葉まで踏まえた議論にざっくりとした論法で踏み込んでも、恥をかくだけですよ。<br><br>ここでの問題は、「数と量の概念を教えるために、かけ算の演算子の前後に異なる意味を持たせることの是非」です。主張は、「小学生の理解のためにはこの方が良い(より厳密には、この方が理解が早い小学生がいる、に過ぎないと思いますが)」 vs. 「無意味な上に間違ってるからやめろ (少なくとも俺は小学生の時に理解できなかった、の声もちらほら)」 です。

眠れぬラム (2010 年 11 月 16 日 (火) 00:08)

もとの記事では<br>「疑問に思ったらすぐに脊髄反射で「教師が無能」「指導力不足」などと言う。実際はそういう親や大人が思考不足なだけなのに。」<br>と書いておられたのではないかと思いますが、撤回なさるのであれば明示的に撤回された方がよろしいのではないでしょうか。

ららら (2010 年 11 月 16 日 (火) 00:11)

問題から解りうる事としては、<br>皿の数=知ってる<br>皿に乗ってるりんごの数=知ってる<br>皿に乗ってるりんごの総数=知りたい。<br>ってこと。<br>知りたいことを求めているのに、<br>知りたい過程について、けちをつけるのは、<br>まったくもってバカバカしいこと。<br>こちらの「文章問題」については、<br>「国語」的にも「算数」的にも×をつけるには<br>あまりにもアンフェアかな。と、<br>一応、物理を勉強した人間の見解でした。

tenrai (2010 年 11 月 16 日 (火) 01:22)

大学のせんせいたちにはきっと、「勝手なローカルルール作って、まともに教えないから、後で俺らが苦労するんだよ。」と言いたい人が多いんだろう。というのは考えすぎか。

積分定数 (2010 年 11 月 16 日 (火) 11:05)

はじめまして。この「かけ算の順序」に関して、ずっと調べている者です。<br>mixでコミュも作りました。<br>http://mixi.jp/view_community.pl?id=4341118<br><br>一技術者さんの意見にほぼ同意します。<br><br>視点の違いで、「1つあたり」と「いくつ分」は入れ替え可能です。そうなると、両者の区別自体がナンセンスと言えます。指数関数と三角関数、微分の逆演算と区分求積、別だと思っていたものが同じ物であると気づき感動することがあります。しかし、そのうち、これらが同じなのが当たり前となり、そうなると、区別自体が困難となります。<br><br>3個の固まりが5つ と 5個の固まりが3つ<br><br>これが同じになるって面白いじゃないですか。<br><br>そして、縦3個、横5個の格子状にならべて、「なんだあたりまえじゃん」となったときに、かけ算が理解できたことになると思います。<br><br>例えば、<br><br>5人家族で、1人が1日に1個ずつ林檎を食べる。3日間でこの家族は何個の林檎を食べるか?<br><br>この場合、5×3 3×5 どちらが正解でしょうか?

積分定数 (2010 年 11 月 16 日 (火) 11:25)

>実際には現場ではその前の授業も行われているし、テストで理解してないところのサポートもされているはずです。<br><br>本当にそうでしょうか?<br><br>長方形の面積を横×縦で求めたら、「公式と違う」といことでバツにされたという例もあります。<br><br>算数を教える教師自身が、あまりわかっていないまま「とにかく順序を教え込まなくては」と思い込んでいる節があります。<br><br>まず、かけ算の順序に拘る教え方は私自身は受けていないし、文科省の方針でもありません。指導要領にも書いていません。文科省は、「順序を教えろ」とも「教えるな」とも言っていません。<br><br>ただ、教えた方の1つの流儀として、そういうのがあるということです。<br><br>ところが、そのようなルールがあると思っている人もいるようで、<br><br><br>「答えの単位とかけ算の左側の方の単位が一致する」というありもしないルールを捏造して、「4人に3個ずつ蜜柑を配るばあい、4×3だと12人になってしまうので間違い」という教師もいます。<br><br>「5人家族で、1人が1日に1個ずつ林檎を食べる。3日間でこの家族は何個の林檎を食べるか?」の場合、<br>5×3では15人 3×5では15日 だからどちらも間違いとなってしまいます。<br><br>3(個)×4(人)=12(個)<br>このように、個×人=個 と同じ単位が両方から挟むように、サンドイッチで、などと指導する教師もいます。<br><br>↓こんなアホらしい教え方をする教師もいます。<br>http://www.eonet.ne.jp/~mnzbo645/kakekakerare.htm<br><br>かけ算を理解させるという目的のための手段として、その子がかけ算をきちんと理解しているかどうかの判断基準として、かけ算の順序に注目する、<br><br>という話だと思っていたのが、いつの間にか手段が目的になってしまっているような教え方が見受けられます。<br><br>「なんだか分からないが、とにかく単位でサンドイッチにすれば、正解になる」ということで、かけ算の理解が深まるのかはなはだ疑問です。

積分定数 (2010 年 11 月 16 日 (火) 11:54)

http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.html<br><br>でも散々やり合ったのですが、<br><br>----------------------------------------------<br>=====「四則演算の意味」====<br>たし算の意味は小学校では「合併、添加、増加」の3つです。<br>1番目の典型として「電車5台と電車3台をつなぐとみんなで何台」というような問題が合併です。<br>これは5+3でも3+5でもOKで交換法則が成り立ち、子どもたちの理解も速やかです。<br><br>次に添加。<br>「えきに電車が5台あります。あとで3台きました。えきには何台電車がありますか。」<br>などの問題です。<br>これは、5+3ですが、3+5、とはなりません。<br>-----------------------------------------------<br><br>5台と3台が両方から近づいてくっつく場合と、最初に5台あって後から3台が追加される場合も同じじゃないか<br><br>というのは、大人の視点であって、子供はこれらを同じだと考えられない場合がある、<br><br>だから、教えるときにはそのあたりに配慮しなくてはならない、<br><br>というのなら理解できる。<br><br><br>「教える側は、子供がこれらを同じだとは思えないということに留意すべき」<br><br>という話と、<br><br>「子供に両者が異なると認識させる必要がある」とは到底思えない。<br><br>最初に5台あって、後から3台来る<br>最初に3台あって、後から5台来る<br>同時に5台と3台来る<br><br>鳥の視点から線路を見たらどれも同じ。そういう抽象的な視点を獲得している子には、合併と添加の違いなど全く無意味だし、区別は困難。<br><br> わり算の包含除・等分除、引き算の求残・求差・求補、分数の割合分数・量分数 など、<br><br>かつて物理科と数学科に在籍しながらここ数年かけ算の順序を調べる中で初めて知った言葉が色々ある。<br><br>それらは、数学的にはさして意味のない概念であるが、教える上では重要だと思う。<br><br>「10人遊んでいて、6人帰った 何人残っている?」<br>「男の子が10人 女の子が6人いる 男の子は女の子をよりも何人多い?」<br><br>両者が同じ10-6とはなかなか理解しにくいと言う。後者に関しては、「違う物を引いても良いの?」と疑問に思うらしい。<br><br> 遠山啓の本と読んで、「なるほどな~」と感心した。<br><br>「子供は、抽象的な思考が出来ないから配慮すべき」というのは同意する。<br><br>しかし、「子供は抽象的思考をしてはいけない」となっていないだろうか?<br><br>あるいは教える人自身が、「引き算には3つの全く違った意味がある」と思い込んでいないだろうか?<br><br>3×5 と 5×3 も同様。これが可換であるというのは、本質的にそういうものであり両者は区別できないと言うこと。<br><br>また、行列の例を出して、かけ算の順序の指導を正当化しようとする人もいるが、<br><br>行列Aをn個足した物はnAであって、Anとは普通は表記しない。<br><br>行列が非可換という話と、小学校のかけ算の順序の話は全く関係ない。

50過ぎのおじさん@三度 (2010 年 11 月 16 日 (火) 12:00)

>積分定数さん<br>>>「5人家族で、1人が1日に1個ずつ林檎を食べる。3日間でこの家族は何個の林檎を食べるか?」の場合、 <br>>>5×3では15人 3×5では15日 だからどちらも間違いとなってしまいます。 <br><br>順番に拘る派は、<br>1×5×3<br>1×3×5<br>って言い出すんですよ

積分定数 (2010 年 11 月 16 日 (火) 12:03)

「かけ算の順序」は、かけ算を習うときだけでなく、高学年になるまで延々続くことがあるらしい。<br><br>一方で新指導要領では文字式と順列組み合わせの初歩が小学校6年あたりで教えることになっている。<br><br>x+x xが2個だから x×2 ともいかないだろう。<br><br>ABCの3文字を並べる方法は何通り?<br><br>普通に考えると、<br><br>最初に一番左に置く文字を3文字の中から選ぶ、次に真ん中に置く物を残り2つから選ぶ、残りの1つを右に置く<br><br>と考えるが、樹形図を考えると、「2つに枝分かれした物が3つある」ということで、順序に拘るなら<br><br>2×3 ということになる。<br><br>ABCD の並べ替えなら 2×3×4<br><br>やりづらいと思うがどうするのだろうか?

積分定数 (2010 年 11 月 16 日 (火) 12:45)

>50過ぎのおじさん@三度さん<br><br>>順番に拘る派は、1×5×3 1×3×5 って言い出すんですよ <br><br>なるほど。そうするとこの問題は3つ以上の積を習うまでは解けないとなってしまいますね。<br><br>ところで3つ以上の積、結合法則が交換法則よりも自明とも思えないが、「括弧を正しく書け」という指導はあまり聞かない。<br><br><br>1を1個と考えると、<br><br>1×5 で 1日に家族が食べる個数<br>だから、 (1×5)×3 <br><br>1×3 で 1人が3日間に食べる個数<br>だから、 (1×3)×5<br><br>1×(5×3) は間違い<br><br>というような採点をするのだろうか?<br><br><br>嘘も方便で、かけ算の順序だの「かける数」「かけられる数」などという概念は虚構でも、かけ算の順序に拘ることが子供のかけ算の理解に寄与するなら良いではないか、<br><br>という考えもあるかも知れない。<br><br>本当にかけ算の理解に効果があるかはどうかわからないが、<br>↓のように、単なる方便を真理と思い込んだまま大人になり、自分の誤った認識を論拠に頓珍漢な主張をする人もいる。<br><br>---------------------------------------------<br>http://kurilin.moo.jp/diary2006-11-2.html<br>>11月16日(木) ◆電車オバサンと掛け算オジサン<br><br>掛け算の原則。<br>それは、「A×B=C」という場合、AとCの単位が一致していること。<br>この理屈を壊すと、モノの考え方自体が崩壊してしまう。<br>(その理由説明まではさすがに割愛させてもらうが。)<br>上記例の場合、求めたいのは色紙の数だから、単位は「枚」。<br>つまりCの単位は「枚」である。<br>するってぇと、逆説的に、Aの単位も「枚」でなくてはおかしい。ゆえに「A=5」。<br>……という検証方法もありますわな。<br>理数系が壊滅状態だった僕ですら、このくらいは言える。<br>-----------------------------------------------<br><br>どのように「モノの考え方自体が崩壊する」のか?<br>高校時代物理と数学がずっとトップだった私には、理解できない。α崩壊などは理解できたのだが・・・

積分定数 (2010 年 11 月 16 日 (火) 18:21)

「1つあたり」と「いくつ分」が視点の違いで逆転するということに対して、<br><br>「密度と体積、速さと時間 などではそうはいかない」という意見があるが、そうだろうか?<br><br>4m^3の気体がある。密度は5g/m^3 質量は?<br><br>まず、4m^3の真空の空間を考える。これに徐々に気体を入れる。密度が徐々に上昇する。<br><br>密度が1g/m^3のときに質量は4g<br>密度が2g/m^3のときに質量は8g<br><br>と考えれば、4が5つで20gとなる。<br><br>単位を書けば、4g/(g/m^3) ×  5g/m^3<br><br>4g/(g/m^3)というのは、<br>密度1g/m^3あたり4gということ。<br><br><br>時速4kmで5時間歩く。距離は?<br><br>5時間歩くことをを考える。<br>時速1㎞で歩くと、5㎞進む。<br>時速2㎞で歩くと、10㎞進む。<br><br>と考えたら、5が4つで20㎞<br><br>単位を表記すると  5㎞/(㎞/h)× 4㎞/h<br><br>5㎞/(㎞/h) は 1㎞/h あたりに5㎞進むと言うこと。<br><br><br>ところで今小学校では、「みはじ」だの「はじき」だの「みおそじ」だのといって、天道虫みたいな図を描いて速さ・時間・距離の関係式を覚えさせる指導が広くなされている。<br><br>そんな教え方こそ、考えることを軽視してマニュアル・公式を暗記する傾向を促すと思うのだが、<br><br>このような、「みはじ」などを教える教師が、「思考力を育むため」などと称してかけ算の順序に拘る。<br><br>時速4㎞で5時間歩く<br><br>「みはじ」で、4×5とすると正解<br><br>「1時間に4㎞、それが5時間だから」と考えつつ、かけ算の順序などどうでもいいと正しく理解している子が<br>5×4とすると誤答扱い。<br><br>さらに、「2時間で6㎞進む。4時間では?」<br><br>これを、「4時間は2時間の2倍だから」と正しく考えて「6×2=12」とすると誤答という事例も聞いた。<br><br>6÷2=3 3×4=12 という具合に、速さを求めて、時間をかけるという手順にしていなかったか、らしい。<br><br><br>「算数・数学は答えさえ出せばいいのではない。そこまでの過程が大切である」<br><br>とよく言われる。私もそう思っていた。ところが、一部の教師は、「過程」というのを「教えたとおりの手順」と勘違いしている節がある。<br><br> そのように曲解する教師がいるぐらいなら、「答えさえ合えばいい」の方が遙かにましである。<br><br> 「正方形は長方形ではない」と教えたり、そのような認識を持っている教師も多いようである。<br><br> そこから推測するに、教える教師自身が算数を良く理解していなくて、マニュアル的な教え方しかできなくて、生徒がマニュアル通りに手を動かすようにすることが「答えを出すまでの過程を大切にする」と勘違いしているのではないかと勘ぐりたくなってしまう。

ワトー (2010 年 11 月 16 日 (火) 23:25)

>togetterでの議論を読みましたが さん<br><br>御指摘ありがとうございます。そう言われて鏡を見ると確かにカボチャにそっくりでした。まあ、うちの子が他人様をカボチャ呼ばわりしてたら大雷落としますが。<br><br>基本ここの日記の主様はあなたではないので、違う主張同士のvsだけ書込んでいいとは限らないし、日記主さんが言う事(決めた事)ならまだしも…ねぇ。ま、迷惑かけそうなのでこれきりで退散しますが。<br><br>わたしは本音は「パーキンソンの自転車置き場の色だな」と思っているので、あえて大風呂敷を述べた部分が大きいですが、でも子供たちのことを真剣に考えて掛け算の順序を考えたなら、それはそれでいいと思います。<br><br>つまり私は「小学生の理解のためにはこの方が良い(より厳密には、この方が理解が早い小学生がいる、に過ぎないと思いますが)」派です。<br><br>で、その派の中にも理論が存在し、でも生徒の中にはその理論すら「まともに」教わった事がなく、ただ×というレッテルを貼られるだけのケースが少なからずあり悲惨だ、と申したいのですが。言わば同一派閥内の争いですね。まあ、わたしはおかげでカボチャのレッテルを貼られたわけですが。<br><br>基礎ってやっぱり集合知で、アヴェロンの野生児じゃあるまいし「ちったぁ自分の頭で考えろ」と言われて自分一人で孤独に思考しあなたもここまで大きくなった訳でもないでしょう?色んな意見があって今に至るわけで。<br><br>議論をアカデミックに持って行っても結局ついてこられない人もいるし、私は8割ぐらいついてこられないと思ってる、ついて来られるならこんな議論になってないだろうから。<br><br>で、リアリティがどんどんなくなってまた算数嫌いが増え、レッテルを貼られるのが怖くて発言しなくなる人が増えやしないかと邪推してみる。でもさすがにリアルの世界でも「その首の上に載ってんのはカボチャか?」とか面と向かってたら言わねぇだろうし。<br><br>わたしは、教師&生徒&保護者の関係性のほうが大事だな。その関係性を良好に保てていない事も原因でこの問題の火に油をそそいでいる事は否めないはず。<br><br>この辺にします。ちょと熱くなってますけど、言葉のセンスのありすぎる人は私を「池沼」とか呼ぶでしょうね。改めて私はバカだ、至らない、自重せよ、調子に乗って首突っ込むな、と教えていただいた事は感謝します。<br><br>でも、「恥」の定義が私と違います。私の定義では「昨日の自分より成長がない、もしくは劣る事」が恥です。私は失敗しまくって何とかバカからこましなバカになるようやってきました。ここでの書き込みも全く恥ではありません。私は「失敗しただけ」もしくは「間違ったことを述べただけ」です。<br><br>あなたももし今までずーっと人をカボチャ呼ばわりしてきたなら、それは恥ではありません。それはただ、あなたが単にそういう人間なだけです。言ってる意味、分かりますね。あなたはおねしょのこと、今でも恥じているのですか?<br><br>ちなみに中学校の英語で小文字のmを、字画で言うと「3画」で書かされたりします。棒を書いて、波、波(分かりづらいかな。。)と書かされます。このほうがアホらしいのですが、ちゃんと説明出来るなら百歩譲ります。が、説明がないばかりか先生によって違ったりしているのがわたしの保護者としての経験です。問題はもっと大きい気がしますので、一度俯瞰することをお勧めします。

とおりすがった (2010 年 11 月 17 日 (水) 02:11)

そもそも論として、小学校で学ぶ「算数のかけ算」と中学校以上で学ぶ「数学の乗算」を混同しているから混乱が起きるのです。<br>小学校で学ぶことは「日本で生きるために必要な一般常識として知っておかなくてはならないこと」で、中学校以上から学ぶことは「考える力を付けるために必要なこと」。<br>「数学の乗算」では3×5だろうと5×3だろうと交換可能法則があるので同じですが、「算数のかけ算」では「(かけられる数)×(かける数)」が正しく、5×3は間違いなのです。<br><br>八百屋に行って、「3個リンゴをください」と言って、別々の皿から3個リンゴを渡されたら変だと思う人が多いでしょう。<br>つまり、お皿に載っているリンゴは一纏めであると言うのが実生活では常識です。<br>だから、3つの皿から1つずつ取っていくというやり方はあり得ません。<br>別のパターンを考えてみましょう。よくある注文書を思い起こしてください。<br>必ず左側に品名が書いてあり、右側に何セットを注文するかを書き込む欄があるはずです。<br>逆になっていることはほぼないと言えると思います。<br>これは小学校で習うかけ算「(かけられる数)×(かける数)」の式とまったく同じです。<br>実生活では「算数のかけ算」のほうが正しいのです。<br>以上のことから「算数のかけ算」はあくまで実生活上必要な計算を行うためのものだと言うことがわかります。<br><br>「数学の乗算」を必要とするのは実生活ではありません。<br>あくまで、中学校以上で学ぶ事柄で演算を行う際に使う必要があるだけのものです。<br>だから「算数のかけ算」と「数学の乗算」を混同してはならないのです。<br><br>上記はあくまで自分の考えですがそう間違っているとは思いません。

>とおりすがった (2010 年 11 月 17 日 (水) 05:29)

コメントも読まず持論を延べるだけなら間違いに気付くわけないだろうな。<br>何周遅れの話をしてんだか。

積分定数 (2010 年 11 月 17 日 (水) 05:44)

>とおりすがったさん<br><br> この件は色々調べていますが、「かけ算の教え方として妥当かどうか」という話にはなりがちです。順序に拘るべきだという主張の人も、「その方が子供が理解するから」という理由を述べるか、「なんだかよく分からないが、そういうことになっている」というのが多いです。<br><br>「実生活云々」というのは初めてお聞きする意見です。出展や根拠があれば教えて下さい。<br><br> ちなみに、数の位取りは、いくつ分×1つあたり ですよね。300は、100の固まりが3個。<br><br>>八百屋に行って、「3個リンゴをください」と言って、別々の皿から3個リンゴを渡されたら変だと思う人が多いでしょう。 <br><br>便宜的な数え方の話と、実際の作業を混同していませんか?

積分定数 (2010 年 11 月 17 日 (水) 05:51)

>とおりすがった さん<br><br>>上記はあくまで自分の考えですがそう間違っているとは思いません。 <br><br>と書いてありますが、これは何か根拠があって、文科省や教育委員会に質問して、とかじゃなくて、自分で「こうじゃないか」と推測した、ということでしょうか?<br><br>いずれにしても、かなり間違っている、と私は思います。順序拘り派の人も、とおりすがったさんのような見解ではないです。<br><br> 逆順を誤答としている算数の問題集を出している出版社に電話したこともありますが、<br><br>「順序を固定した方が子供が理解しやすいという理由であり、子供がきちんと分かっているなら、順序にそれほど拘る必要はない」<br><br>との回答でした。<br><br> このあたりが現場の教師も分かっていなくて、「順序を正しくさせること」というルールがあると思い込んで、それに腐心してしまう例が多いようなのですが。

積分定数 (2010 年 11 月 17 日 (水) 06:09)

 それから、予想される反論にあらかじめ答えておく。<br><br> 「順序に拘る指導が不要な生徒もいるだろうが、必要な生徒もいる。不要な生徒がきちんと理解した上で、かけ算に順序なんか関係ないと分かった上で教師の期待した解答と逆順にして誤答になることはあり得る。しかし、順序の指導が不要な子は頭が良いだろうから、そういうのにも適応できるだろう。順序が必要な子が現にいるのだから、その子らを対象にした授業になるのは仕方ない。不要な子には我慢してもらうしかない。<br> 補助輪が不要な子もいるが、必要な子もいる。とりあえず全員に補助輪をつけるように指導と、全員補助輪なしの指導では、前者の方がいい」<br><br>という意見もある。なるほど、「出来る子」なら、「順序なんか本当は関係ないが、そういうことが必要な生徒もいるのだな。しかたない、つき合うか」と考えそうである。<br><br>高校時代、教師が「大小2つのサイコロを振るときに、1と2の目が出る確率は?」という問題を出した。「大小異なろうが、見た目が同じサイコロだろうが、確率の計算には会計ないじゃないか?」と質問したところ、「お前はそう考えるが、同じサイコロとしちゃうと分からない生徒がいるからあえてそうやっている」とのことだった。そういうものかと思って、さほど気にしなかった。<br><br> 「出来る子は、判断できるからいいではないか。出来ない子を理解させるためにどうするかが重要」<br><br>ということ自体は分からないでもない。<br><br>しかし「かけ算の順序」でそれが当てはまるとは限らない。<br><br><br>「700円の3割は?」<br><br>順序拘り派の人は、「700の0.3個分」として、<br>700×0.3 の順序だけが正しいと言うであろう。<br><br>しかし、割合の計算が苦手な子が原点に帰って、<br><br>「10円の3割は3円、100円の3割は30円、200円の3割は60円、・・・、」<br><br>と考えて210円と出したとする。そういうことは十分あり得る。<br><br>ここから、0.3円が700個と考えて<br><br>0.3×700<br><br>という式を立てることは何ら不思議はない。<br><br>それに対して、「式が違う」と無情にもバツを付けるのだろうか?「出来る子」であれば教師の理不尽なバツに対しても対応できるかも知れないが、このようなこの場合、自分なりに考えて、それは全く正しいにも関わらずバツを付けられて混乱するのではないだろうか?<br><br> つまり、教師の想定する「1つあたり」と「いくつ分」とは逆に設定する子であっても、「出来る子」とは限らない。

通りすがりのばか (2010 年 11 月 17 日 (水) 09:20)

「5×3と立式した場合は、5つごとのりんごのグループが3つあることになってしまいますから全く別の事象を表したことになります。」なんでそうなるの?<br>立式? 小学2年生に式書かせるのに<br>式<br> 5皿×3個<br>or 3個×五皿<br>答え 15個<br>と単位?まで書かせればいいだけじゃない?<br>あんまり難しく考えないで。<br>そういえば、割り算習ったとき先生に、<br>15個÷5皿=3個/皿って書きなってならったよ。<br>分数ならうまえなんで”/”の意味もわかんなかったけど。

50過ぎのおじさん@四度 (2010 年 11 月 17 日 (水) 15:03)

Kidsnote:【ゆっくり理解】なぜ3×5で正答で、5×3が誤答なのか さんの所のネタ記事読んで脱力…ありゃダメだ<br><br>私の世代は団塊の世代の後で小学校は一クラス25人前後、<br>中学もそんなに多くなかったと思います。<br>(中学は教育大附属だったので公立について断言できない)<br>今の教育現場に比べれば手厚い授業が出来る状況だったと思います。<br><br>掛け算順番問題が教育関係現場だけでなくニュースに登場した1980年代前半の時期は、<br>団塊の世代子弟の義務教育課程開始時期です。<br>当然、教師増・教育内容見直しもありました(1970年代後半から)。<br>他方、学習塾が流行り始めた時期でもあります。<br>それまでは塾というと御稽古塾が一般的で、<br>極一部の難しい方の進学塾と<br>補完目的の(学校の授業についていけない子がいく)御勉強塾でした。<br><br>で、この辺りから「公文」が絡んできていると考えています<br>直接か<br>公文の卒業生か<br>公文の塾通いの児童か<br>(他にもあるかもしれませんが)何れかの影響が出始めたんだろうと思います。<br>それまでは授業の余裕と局所的問題で遠山啓氏など一部の方々どまりだったのでしょう。<br><br>授業効率化の手法上、<br>内容・思考の限定はありえても、<br>それ以外は不正解・認めない<br>というのは教育じゃないです。

タナカ (2010 年 11 月 17 日 (水) 15:52)

そもそも、(かけられる数)×(かける数)という立式の順番が、NeXTSTEP2OSXさんの俺ルールじゃないんでしょうか?

タナカ (2010 年 11 月 17 日 (水) 16:08)

>この話は数年でもう何度もみたがそのたびに「教師が無能」「指導力不足」などと言われている。実際はそういう親や大人が思考力不足なだけなのに。<br><br><br>この発言はいくらなんでも一方的じゃないでしょうか。<br><br><br>>「あれっなんでおかしいの」と思うのは前述のように無理もないこと。だけど、そのときなぜ脊髄反射ですぐに教師に牙をむく? なぜ自分の理解がおかしいと立ち止まらない? どういうことか子どもと一緒に教科書を開いて見ればいいことでしょう<br><br><br>教科書に、立式の順番が違うと間違いと書かれているのですか?<br><br><br>もし、tweetの最初の方と考えが変わってきたのなら、訂正されたほうがよろしいと思います。

暗記嫌い (2010 年 11 月 17 日 (水) 16:21)

定義やら公式ってのは一体何物なんだろうね?<br>公式丸暗記主義の教育を受けてると、公式がそうなってるんだからそれが正しい。って答えになるんだろうけど果たしてそれでいいのかね~?<br><br>公式ってのは本来自力発見が可能なものである、自力発見したものは確実に身につく。授業ってのは本来ならばその公式の発見の仕方を教えるべき物であるはず、しかして現実は教えるべき公式が多すぎて授業では公式を丸暗記させる。<br>数学好きならここで公式を自力発見する努力をするが、数学好きでなければ丸暗記で終わってしまう。丸暗記だけだと当然未につかず結果として使い方が分からなくなり数学嫌いへの道を突き進む事になる。<br><br>算数教育の定義と言うのも似たような状況におちいっているのではないだろうか?<br>積の定義が掛けられる数×掛ける数だからそれを暗記させる、<br>生徒が掛ける数×掛けられる数でも正しい答が出ると発見したとしても定義と違うからと否定する。<br>それでは自力発見出来た者まで算数嫌いになるんじゃないか?<br>定義を正しく使うことだけを強要されて、自力発見の楽しみがないのでは算数なんてつまらないだけの物だ。つまらないものは普通なら嫌いになるだろう

積分定数 (2010 年 11 月 17 日 (水) 22:40)

かけ算の順序は<br><br>■数学的観点から見たら、2重に誤り■<br>(1つあたり)×(いくつ分) <br>(いくつ分)×(1つあたり)<br>そもそも、どちらもあり得る。<br>仮に、前者のみを「正しい順序」としても、どちらが(1つあたり)で、どちらが(いくつ分)とするかは、視点の違いでしかないので、結局、順序に拘ること自体がナンセンスである。<br><br>■公式には、どちらとも定められていない■<br>教科書の指導書には、順序云々が書かれているかも知れないが、教科書には書かれていない。重要なことなら書くべきだが、なぜ書かれていないのかと言えば、教科書に書いたら文科省の検定を通らないから。指導書は検定を通す必要がない。文科省も指導要領も、「順序に拘れ」とも、「拘るな」とは言っていない。<br><br><br>以上の2点を踏まえた上で、あくまでかけ算指導の1つの方便として認識していて、「それでも指導法として、順序に拘る教え方は優れている」という意見であれば聞くに値するかもしれないが、<br><br>「そういうことになっているから」などというのは、その人自身がこのことを良く理解していない証拠。<br><br>http://star.ap.teacup.com/applet/hoshimaru/20061121/archive<br>↑に紹介されている新聞投書<br>>抑々 4 × 5 には, 4 の五倍という意味があります。 4 人の五倍では答が 20 人になってしまいます。 これでは問題文の内容を理解しているとは言えないのではないでしょうか。 五枚ずつ四人にという文章題に当てはめると, 五枚の四倍で答は二十枚, 5×4 という式が妥当なわけです。 <br><br>教師の投書だが、きちんと理解していない。

積分定数 (2010 年 11 月 17 日 (水) 22:59)

>「順序に拘れ」とも、「拘るな」とは言っていない。 <br><br>訂正<br><br>「順序に拘れ」とも、「拘るな」とも言っていない。<br><br><br>http://ameblo.jp/metameta7/entry-10196970407.html<br>↑この記事の中に出てくる授業は、<br>かけ算の教え始めである点と、逆順にした生徒に質問している点を考えると、昨今の、訳も分からず「とにかく順序を正しく」という指導よりも遙かにましだと思う。<br><br>---------------------------------------------<br>文部省初等教育課から文書で返答があったが、その一部。「指導の段階からみて4×6だけを正しいとする指導もあるだろうと考えます。・・・担任の先生は、算数の授業を通してこどもを一つの考え方だけに固定しようなどとは考えていないと思います。・・・ご心配される親の学校不信などのことが起りませんように、学校の先生方とお話合いしていただければ幸いと存じます」<br><br>関係者や第三者の意見は――。<br><br>西田芳雄・松原南小学校校長――こどもの発達段階、指導の段階を無視した教え方はできない。思考制限はしていないし、むしろ、いろんな考えを出してくれることを望んでいる。<br><br>瀬戸川寛・大阪府教委指導主事――指導のあり方よりもテストの評価の仕方の問題だと思う。評価は、こどもにとって励み、刺激になるものでなくてはならない。その意味で、ペケにしたのには問題があるだろう。<br><br>河原政則・大阪市教育研究会企画係長――こどもが期待通りの答えをしなかったからといってペケをするのはどうか。別の答えをした場合、もしかしたらそこにこども特有の思考があるかもしれず、その思考のプロセスをたどってやらなくてはならない。そのうえでもしその思考が指導の過程で発展しにくいものであれば、より合理的な思考へ導いてやればよい。<br>---------------------------------------------<br>このような、昨今の教条的「順序を正しく」というのよりは随分控えめな授業に対して、<br><br>文部省は、「指導の段階からみて4×6だけを正しいとする指導もあるだろうと考えます。」<br><br>つまり、かけ算の指導の最初の部分で、4×6だけを正しいとする指導“も”あるだろう、という見解。<br><br>昨今、順序拘り派が、あたかもそれが自明のことであるかの如く言うのとは大分ニュアンスが違う。<br><br>教育委員会に至っては、この授業に批判的。<br><br><br>いつから、順序に拘ることが当然となってしまったのか?<br>ここのコメントもそうだし、他での議論もそうだが、「おかしいじゃないか」という意見が多数あるにも関わらず、小学校算数では、かけ算の順序拘り派が圧倒的多数ではないかと思われる。さらに、かけ算の順序に拘ることが「考え方を大切にする指導だ」などと言うのを聞くと、うんざりしてくる。

50過ぎのおじさん@五度 (2010 年 11 月 17 日 (水) 23:15)

>積分定数さん<br><br>1972年ですか。私は小学生ですよ。<br>ということは、10年に一度くらいの頻度で再燃してると考えた方がいいですね。<br>今回はネットでより一層議論になってると。<br><br>大阪というのは「公文」の本拠地と関係あるのかな?

積分定数 (2010 年 11 月 18 日 (木) 00:03)

>50過ぎのおじさん@五度さん<br><br> 私も小学校低学年に当たるのですが、私自身は順序をどうこう言われた記憶がありません。 <br> 「順序」派が、「みんな、最初はそう習ったのに大人になって忘れてしまって、おかしいとか言い出している」などと言うことがありますが、そもそも「順序」が公式な普遍的な教え方ということではないということが分かっていない証拠。<br><br> 72年にこのことが新聞記事になり話題になったということは、当時はこのような教え方が珍しかったからでは、という気がします。<br><br> ネットの普及と関係あるのかも知れないですが、自分の子供が「逆順」でバツになり驚いて書き込む、という例が多いようです。<br><br> 順序に拘る、拘らない、という授業の比率が昔と変わらないなら、「自分の時は、逆にしたらバツになったのに、自分の子供は順序はどっちでもいいと教わっているらしい。驚いた」という話は全く聞かない。<br> 色んな人の話を聞いても、希に年輩者で「順序をならった」という人もいるが、「最近はなんだかそういうおかしな教え方するみたいだね」という人が多い。<br><br><br> 数学的にはナンセンスで、公式にもなんら決められた物ではないと分かった上で、方便として自覚している前提なら、聞く価値があるかもとは書いたが、<br><br> 「その子がかけ算を理解しているかどうかを、かけ算の順序で判断する」という方法を最初に考えた人は浅はかだとは思う。思いついたとしても、「数学的にはどちらの順序でも正しいのだから、やっぱつかえないな」と判断するのが普通だと思うのだが。<br><br> 数学的整合性をねじ曲げた教え方なのだから、<br><br> 順序に拘ることでほぼ100%の生徒が理解できるが、順序に拘らないと、半分近くが落ちこぼれる<br><br> ぐらいのよほどの理由がないと正当化できないと思うのだが。

積分定数 (2010 年 11 月 18 日 (木) 00:46)

>順序に拘る、拘らない、という授業の比率が昔と変わらないなら、「自分の時は、逆にしたらバツになったのに、自分の子供は順序はどっちでもいいと教わっているらしい。驚いた」という話は全く聞かない。 <br><br>訂正<br><br>順序に拘る、拘らない、という授業の比率が昔と変わらないなら、「自分の時は、逆にしたらバツになったのに、自分の子供は順序はどっちでもいいと教わっているらしい。驚いた」という話が出てきてもよさそうなのに、全く聞かない。<br><br><br>いずれにしても、「3×5と5×3は意味が全く違う」等と言っている人は、抽象思考が出来ないのではないかと思ってしまう。<br><br>3が5つも、5が3つも、<br>●●●●●<br>●●●●●<br>●●●●●<br>という格子状の配列を考えたら、同じこと。<br><br>(1つあたり)×(いくつ分)が「本来の正しい定義」<br><br>ではなく、単にかけ算の導入部分で暫定的に出てきただけ。<br><br>平行は最初「1つの直線に垂直な2本の直線」と定義されるが、これが平行の本質と言うことではない。平行の1つの表現をとりあえず定義にしているだけ。<br><br>かけ算とて同じこと。<br><br>かけ算の順序を行列云々や非可換群の話を持ち出して正当化する人もいるが、<br><br>それを言うなら、i×i=-1なんて、(1つあたり)×(いくつ分)じゃ解釈が難しくなるから、虚数を習うときのことを考えて、最初から、R^2→Rの写像として定義しよう、という話になっても良いはず。<br><br>さらに、集合論の順序数では加法の可換性も成り立たないから、足し算の順序もきちんと正し書かせるべき、<br><br>「外積では順序が違うと向きが反対になるから、」というなら、同じく外積では、結合法則が成り立たないから、3つ以上のかけ算の場合、括弧を省略してはならないようにすべき<br><br>となってもよさそうだが、そういう意見は聞かない。<br><br>つまり、行列だの非可換など公理系がどうたら、等というのははったりに過ぎない。<br><br>私がこれまで見た中で、もっとも印象深いトンデモ。<br><br>http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=6<br>----------------------------------------------<br>高校数学3ですが,例えば∫ydxと∫xdyは同じでしょうか?・・・もちろん違います。 <br>内包量=単位あたりの量は,dy/dxのことであり,小学校から高校までは一定。 <br>つまり,dy/dx=k(定数)であり, <br>⊿y=∫k・dx=k・(x1-x0)と,単純な掛け算になっているのです。 <br>だから,数値を入れ替えても答えの数値は合う。式が合っているのではありません。 <br>例外的に一定でないのは,電車が等加速度運動をして,速度v=k・tで変化し, <br>その後は一定速度で,その後減速して停止するといった問題。 <br>移動距離をv-t平面のグラフの面積で求めるといった問題が中学入試で出題されます。 <br>大学以上では,dy/dx=f(x)であり,一定ではないので入れ替えはできません。 <br>昔は,微分方程式も高校範囲だったので,高校でもdy/dx=f(x)でダメでした。 <br>大学入試でも,数値間の交換法則が成り立つだけで,変数を入れ替えたら不正解です。 <br>数値の交換はOKですが,内包量と外延量の交換はできません。 <br>3×2=2×3はOK,∫(dy/dx)dxは∫dx・(dy/dx)にはできません。 <br>外延量×外延量は交換可能です。そこを混同されないようにご注意ください。<br>-----------------------------------------------<br><br>-----------------------------------------------<br>>速度x時間でも、時間x速度でも距離が算出できるという意味では、順番を変えても同じこと。 <br>ここのところから,誤認されているようですが,上の考えは間違っています。 <br>変数の交換は不可,数値の交換は可です。 <br>>文科省のこだわりで混乱させないでほしい。 <br>文科省などなんの関係もありません。 <br>もし,お子さんが大学で理学部や工学部,特に物理学科などに進学されたとしたら, <br>そこで解析力学や量子力学を学んだとき,ラグランジュやハミルトンの式において, <br>変数の種類の違い,Extensive Variable と Intensive Variable の違い,それらの積の意味を学ぶはずです。 <br>変数の種類の違いは,大学院入試の口頭試問でも学生の理解度を測るために出題されていました。 <br>これが小学校での,単位あたり量×変数のときの掛け算の順序の正誤と関係しているのです。 <br>電気電子工学科に進学されたら,電磁波のポインティング・ベクトルで,ベクトルの外積として正しい順序を学びます。 <br>小学生に詳しく教える必要はありませんが,速度などの「単位あたりの量」の量としての性質の違いは, <br>小学生でもデキルお子さんはわかっています。 <br>>大学入試では正解とされる解答 <br>>小学校教育の算数としての議論 <br>難関中学の入試の算数よりもやさしい入試数学の大学もあるのが実情ですが, <br>正解とする大学があったとしたら,残念ながらレベル的に問題です。 <br>「変化率×独立変数」例えば,速度×時間では,時間は独立変数にできますが, <br>速度を独立変数にすることはできません。ですから,速度×時間しかありえない。 <br>大学の数学科でのルベーグ積分を除いて,大学まではリーマン積分です。 <br>そこでは,小学生の「比例の式」から大学生の「積分」まで,距離=∫v(t)dtであって, <br>速度を時間で積分することにかわりはありません。 <br>小学生なら,比例のグラフの傾きと時間差を掛ける。両者は,概念的にはまったく同じものです。 <br>小学校教育の算数としての議論では済みません。大学ではより詳しく,より重要視されます。 <br>>「かける数」と「かけられる数」の記載順序が採点の対象とならないのであれば、 <br>>計算に便利なように書かせておきますし、採点の対象となるのであれば、遵守するように指導します。 <br>採点の対象になるならないでお決めになるのではなく,「何が正しいか」に基づいて勉強されるほうがよろしいかと思います。 <br>>「A君は、18人に3個づつリンゴを配ります。 <br>>B君は、3人に2個づつリンゴを配ります。二人あわせて何個のリンゴを配りますか?」 <br>A君はN人にP個づつリンゴを配ります。B君は、M人にQ個づつリンゴを配ります。二人あわせて何個のリンゴを配りますか? <br>を考えると,P×N+Q×M,が正解ですね。変数の入れ替えはできません。 <br>もとの問題は数値として出題されていあす。数値は交換法則が成り立つので, <br>3×18+2×3=(18+2)×3=20×3=60,で正解だと思います。 <br>ただし,途中は暗算で済まして,3×18+2×3=60,が入試での解答方法だと思います。 <br>>時間制限のある入試の際に、どのようにするように指導すればよいのでしょうか。 <br>この程度の計算の時間が問題となるような出題をする中学はあまりないと思います。 <br>立式が正しくできるかどうかのほうが重要です。 <br>>入試の場でも「かける数」と「かけられる数」の順序を遵守させねばならないのか <br>もちろん。あたりまえだと思います。デキルお子さんは「単位あたりの量」の「量としての性質の違い」をわかっています。 <br>中学入試の採点者にしてみれば,「こんなこともわかっていないのに受験をしたのか」という感想を抱きかねません。<br>-----------------------------------------------<br>>∫(dy/dx)dxは∫dx・(dy/dx)にはできません。<br><br>など全く意味不明。積分でd~を最後に置くというのは単なるお約束。文字式では、3xとかいて、x3とは書かないと言うのと同様。数学の本質とは関係ない。<br><br>∫をΣに置き換えて、微小区分の有限和と置き換えて考えたら、d~の位置に深い意味はないことが分かるはず。<br><br><br><br>行列は一般的に可換ではない、というのは分かる。具体的に積の順序で結果が違う行列を例示できる。<br><br>量の交換が成り立たないというなら、成り立たない例を出して見ろ、と言いたい。<br><br>「成り立たないことになっているから成り立たない。遠山啓がそう言っているから」では、納得できない。

アタマが悪いので (2010 年 11 月 18 日 (木) 01:34)

積分定数さんの<br>>4m^3の気体がある。密度は5g/m^3 質量は?<br>>まず、4m^3の真空の空間を考える。これに徐々に気体を入れる。密度が徐々に上昇する。<br>>密度が1g/m^3のときに質量は4g<br>>密度が2g/m^3のときに質量は8g<br>>と考えれば、4が5つで20gとなる。<br>>単位を書けば、4g/(g/m^3) ×  5g/m^3<br>>4g/(g/m^3)というのは、<br>>密度1g/m^3あたり4gということ。<br><br>の意味が分かりません<br>4m^3(1辺4mの立方体)が1m^3(1辺1mの立方体)の4倍?<br>式にすると<br>4x4x4=1x1x1x4となっちゃって等式じゃない?<br><br>僕の思いついた式は<br>4x4x4=(1x4)x(1x4)x(1x4)で<br><br>密度が5g/m^3の気体が4m^3に満たされた時は<br>(1x4)x(1x4)x(1x4)x5=320<br>答えは320gになったんです<br>同じ計算で<br>1g/m^3の時は64g 2g/m^3の時は128g<br>になって微分定数さんの答えと大きく違うので僕の計算が間違いだと思うので教えて欲しいんです<br><br>頭の悪い僕に誰か正しい答えをを教えてください

50過ぎのおじさん@五度 (2010 年 11 月 18 日 (木) 02:34)

>アタマが悪いので さん<br>4m^3=4立方メートル<br>一辺4メートルの立方体なら64立方メートル=64m^3

積分定数 (2010 年 11 月 18 日 (木) 09:03)

50過ぎのおじさん@五度さんが答えてくれましたが、<br><br>ab^2 は a×(b^2) abの2乗 は (ab)^2<br><br>となると思います。厳密なルールが定められているわけじゃないと思うけど、多分そういう解釈が普通だと思います。

暗記嫌い (2010 年 11 月 18 日 (木) 13:26)

積分定数さん<br>>厳密なルールが定められているわけじゃないと思うけど<br>その例についてはルールがちゃんとあるでしょ(計算の優先順位)<br>aとbが別の変数とし、^をべき乗をあらわす記号とした場合<br>abとはa×bの省略形として考える為<br>ab^2はa×b^2であり、べき乗の優先順位は乗算よりも高い為<br>a×(b^2)と同じ物と考える事ができる

暗記嫌い (2010 年 11 月 18 日 (木) 13:49)

追記<br>4m^3について<br><br>この場合については計算の優先順位のルールとは関係なく<br>m^3は単位を表す記号(立法メートル)なので、<br>4m^3は4メートルの3乗ではなく、4立方メートルとなる。<br><br>m^3は体積をあらわす単位<br>1辺4メートルの立法体は<br>4^3m^3となる。

暗記嫌い (2010 年 11 月 18 日 (木) 14:38)

単位系の話も出てるしついでに<br><br>割り算(分数)が無い時点の教育な事や教師は基本として文系出身者が多いことがこの指導の原因だと思っている。<br>順番にこだわるのは<br>3個×5皿=15個の考え(掛けられる数と答の単位を同じにする事)への固執が原因なのは間違いの話である。<br>そして、そもそも単位の付け方自体が間違っていて正しくは<br>3(個/皿)×5皿=15個なのも既出な話である<br><br>さて、ここで割り算(分数)の存在を認めた場合この問題がどうなるか見てみると<br><br>3(個/皿)×5皿=((3×5)(個×皿))/皿<br>と変換する事が出来る(単位と数字を分解)<br>そして、ここから分数を先に処理すると<br>((3×5)(個×皿))/皿 = (3×5)個<br>となり答が15個で有ると導ける。<br>では5×3にしてみると<br>5皿×3(個/皿)=((5×3)(皿×個))/皿<br>となる、そして分数を先に処理すると<br>((5×3)(皿×個))/皿=(5×3)個<br>となり、15個となる。<br><br>単位をつけると解るのは、計算時に裏で単位同士の割り算が発生していると言う事だ<br>※改めて単位のみの数式にする<br>(個/皿)×皿=(個×皿)/皿=個<br>皿×(個/皿)=(皿×個)/皿=個<br>計算順を強く意識する為に敢えて括弧を入れているけど、括弧がないほうがやっていることはわかりやすいと思う。<br>※単位なので直接消しているけど計算の様式的には(個×1)/1)=個×1=個と言う流れで皿を消している<br><br>結局この割り算の流れを見ないふりをする為(割り算の履修は掛け算より後の為)に順番に拘っているというのが数式から見て取れる。<br>しかしながら現実の運用としてはこの割り算の流れを見ないふりしている事は忘れ去られていると思う

積分定数 (2010 年 11 月 18 日 (木) 14:50)

>暗記嫌いさん<br><br>パソコン上での表記のルールに関して、という意味で、多分明確な規定はないのではなかろうか、という意味です。<br><br>a/b+c<br><br>この場合、(a/b)+c a/(b+c)<br>どちらの意味か不明確なので、括弧をつける方が誤解がないとかあると思います。<br><br>ab^2 は a×(b^2) abの2乗 は (ab)^2 <br><br>これも、一般の数学の規則が流用されるならそうだろうけど、こういう書き込みの際のルールに関しては、慣習によるのかなと思って、これが正しいという確信がないので、念のために、<br><br>>厳密なルールが定められているわけじゃないと思うけど<br><br>と書きました。<br><br><br>そこで思いついた。<br><br>3×5に関して、3と5を重ねて書くようなルールにしておけばこんな問題は起きないのにと思う。<br><br>現に、20÷5 の÷は、順序派の立場からしたら、20の5等分という意味(等分除)と、20の中に5がいくつあるのか(包含除)という異なる解釈が可能なはずだから、「÷」という1つの記号を使うべきでないとなりそうなのに、同じ記号が使われどちらの解釈であれ結果が同じだからか、あまり議論されない。<br><br>かけ算に関して、たまたま見た目に異なる2つの表記があったのが不幸の始まり。異なる表記に異なる意味を無理矢理当てはめて訳の分からないことになっている。

暗記嫌い (2010 年 11 月 18 日 (木) 16:05)

>積分定数さん<br>>>パソコン上での表記のルールに関して、という意味で<br><br>このパソコン上というのが、各種プログラム言語やエクセル等のソフト上での表記と言う意味で言うならば。<br>算術演算に限って言えば、原則数学のルールに全て従うとした上で再定義がなされています。<br>(半角文字を使う為×(掛ける)が*だったり、変数ルール(と言うか変数の意味)が違う為a×bをabと略してはいけなかったりとかありますが)<br><br>掲示板書き込みと言う意味であるならば、TPOによって数学のルールであるかプログラム言語等のルールで有るかが変わってきます。<br>(もちろん、おかしなローカルルールを持ったコミュニティの存在は否定しませんが)<br><br>とりあえず、TPO的に言えばここでは数学(と言うか算数か?)のルールを適応していく場所だと思っています<br>(べき乗について、わざわざべき乗記号を使わないと表現できないと言った問題は存在しますが)<br><br>とりあえず、例に出されている<br>a/b+c ついて言えば、プログラム的解釈だろうが数学解釈だろうがa/(b+c) の解釈はありえません。<br>但し、おかしな解釈によるいちゃもんを避ける為に(a/b)+cと表記する事は有効ではあると思います。<br>(というか、自分の前回の書き込みで括弧をつけた理由はそこら辺の意味だし)

積分定数 (2010 年 11 月 18 日 (木) 18:21)

>暗記嫌いさん<br><br>>掲示板書き込みと言う意味であるならば<br><br>そういう意味です。正直、4m^3を64立米という解釈に初めて出会ったので、戸惑いました。<br><br> ところでこのかけ算の順序の指導、誰が提唱しどう拡がっていったのか、そこが今ひとつ分からないところです。<br> <br> 遠山啓や水道方式の話題もよく出るのですが、順序派、順序否定派双方に、遠山啓や水道方式を評価する人がいるようで、このあたりもよく分かりません。<br><br> 数教協の会員の中で順序に拘る指導をしている人がいるのはほぼ確実ですが、全体的なことなのかどうかが分かりません。

>積分定数 (2010 年 11 月 19 日 (金) 15:34)

ご存知かもしれないが、参考までに。<br><br>遠山啓は「かけ算の順序」についてどう考えたか(その1:問題の所在) - さつきのブログ「科学と認識」<br>http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/33805606.html

積分定数 (2010 年 11 月 19 日 (金) 16:01)

 遠山啓がそのように言っているとして、「遠山啓は、そこの部分に関しては、誤っていた。順序に拘るのが正しいんだ」という意見ならまだ分かるのですが、「遠山啓の考え」を論拠に、順序に拘る人がいる。<br><br> 「かけ算は、(1つあたり)×(いくつ分)」これは、「かけ算は累加」に対するアンチテーゼであったものが、<br><br>「(1つあたり)×(いくつ分)であって、(いくつ分)×(1つあたり)ではない」というように解釈した人がいる。<br><br><br>こんなようなことをふと考えました。

50過ぎのおじさん@七度 (2010 年 11 月 19 日 (金) 22:44)

あの先生、こんな事言ってる<br><br>http://twitter.com/suzusuke/status/4905543760089088<br>「思ったんだけど、反対派が小学校の時、私の主張しているように教えられたはずなのに、違和感を感じて反論しているという事実自体が、かけ算の根本に関する理解を妨げていないという何よりの証明になるのではないだろうか。」<br><br>少なくない数、順番に拘った授業を受けてないコメントがあるのに、<br>“はず”ってなんだよ<br>読解力も無いのか<br><br>>積分定数さん<br>どこかの中学・高校入試で順番に拘った解法・採点があるので<br>繋がりのある地域で流行り始めた、<br>というのはありえませんか?

暗記嫌い (2010 年 11 月 20 日 (土) 02:25)

>50過ぎのおじさん@七度さん<br>こわいな~~、これ<br><br>もうすでに教育論じゃなく宗教論に入ってる感じだ。<br><br>少なくとも本当に全ての小学校でこんな教え方をされていたなら自分は間違いなく数学嫌いになっていたと断言出来るんだけどな~。<br><br>名前に使ってるように自分は暗記ってのが大嫌いで、正直掛け算九九も大嫌いだった。<br>小学校高学年でやる鶴亀算って奴も正直、理解不能だった。<br>じゃぁ、算数の成績が悪かったかというとそういう訳ではなかった。<br>九九については、半分だけ覚えるという方法で済ませたし、<br>鶴亀算の時期にいたっては、この時点から数学で言う所の方程式ってのを使いこなしてた。(XやYで表現される変数はマルとか三角とか四角を使っていたが)<br>別に塾等で方程式を習っていた訳じゃなく、たまたま自己発見していただけなんだが、それでもテストで減点される事なく成績はちゃんと良かった。<br><br>もし、この先生が言うような状況であったならば、鶴亀算履修の辺りで、自分の成績は全滅していたと思う。そして心底算数嫌いになってたとも思う<br><br>しかし現実の自分はそんなことなく、数学はむしろかなり好きな学科だ<br><br>本当に、こう宗教的というか狂信的というか盲目的な信仰で授業をされるのはとても恐ろしいです

50過ぎのおじさん@八度 (2010 年 11 月 20 日 (土) 15:57)

>>暗記嫌い さん<br>>鶴亀算の時期にいたっては、この時点から数学で言う所の方程式ってのを使いこなしてた。(XやYで表現される変数はマルとか三角とか四角を使っていたが) <br><br>私なんて自分の‘帳面’(ノートなんて言葉は、まだ使ってない)には、x,y使ってましたよ<br>勿論、先生や級友も承知済み<br>だいたい年長の兄弟でもいれば「n元一次方程式」とか用語を知らなくてもyとかzとか使い出すのは知りますし<br>流石に黒板板書きで解答するときは使いません<br>(その代わり、x= で始まって右辺が括弧と分数ですが)<br><br>>九九については、半分だけ覚えるという方法<br>頭の中だけ"中国の半九九"ですね<br><br>最初のコメントで書き込んだように<br>私(とクラスメート)の授業では<br>皿盛方式とカード配り方式を同時に習ったんです<br>最初は、3+3+3+3+3=15>3*5=15 ですよね<br>で、「他にも出す方法ないかな?」です<br>当然、誰かが 5+5+5=15 思いつきますよね<br>で、5+5+5=15>5*3=15 です<br><br>3+3+3+3+3=3*5=5+5+5=5*3=15 を九九を覚える前に習うわけです<br>順番に拘ってるように見えますがそれは些細な事で、<br>入れ替えても等しい事を周知(多分理解じゃない)してしまうんです<br>‘交換法則’なんて用語を使わずに!<br><br>何の為かというと九九の暗記を助ける為です<br>何処かで引っ掛かっても、入れ替えた値が分れば十分なわけです<br><br>当時の算数は数学の縮小版というより<br>読み書きソロバンの延長ですよ<br><br>考え方、ってのは幾らでも修正・発展できるのでその都度やればいいんです(教師は手間かかるけど)<br>ですが、九九の暗記は小2にとっては重荷です<br>それで躓かない方が当時は重大だったんでしょう<br><br>もう一度書きますが<br>授業効率化の手法上、 <br>内容・思考の限定はありえても、 <br>それ以外は不正解・認めない <br>というのは教育じゃないです。 <br><br>これに尽きます

くろなお (2010 年 11 月 21 日 (日) 02:54)

3個×5枚=15個<br>5枚×3個=15枚<br>答えの単位は、かけられる数の単位が望ましいのかな。ここでは個数問うてるので。

暗記嫌い (2010 年 11 月 21 日 (日) 23:23)

5枚×3個の件<br><br>生徒が<br>5枚×3個=15個 (掛ける数×掛けられる数という交換法則による発想の転換)<br>のつもりで書いていたとしても<br>教師(順番が必要派)の目には<br>5枚×3個=15枚<br>と書いているように見えて<br>順番は不要派には<br>5枚×3(個/枚)=5×3個=15個(単位同士の計算で枚/枚を処理)<br>と書いているように見える<br><br>って話ではないでしょうか?

暗記嫌い (2010 年 11 月 22 日 (月) 00:14)

今更ながらに、順番が必要派の意見のうちそれなりの妥当性のある意見を取り込みつつ、順番はどっちでもいいとする方法に気がついた。<br>それなりの妥当性のある意見ってのは、文章を理解して正しく立式しているかを判断するって奴の事です。<br><br>解決方法は非常に簡単で、問題文をもうすこし長くするだけ。<br>問題文の最後に以下の文面を追加です<br>「そして、お皿は全部で何枚あるでしょうか?」<br><br>とりあえず解説すると、答を2つ求めるようにするということだけどこれによって何が変わるか。<br>まず、<br>5枚×3個=15枚<br>と考えているならば<br>リンゴ3個、お皿15枚となります<br><br>とりあえず出てきた数を掛けただけならば順番はどうであれ<br>リンゴ3個、お皿15枚<br>リンゴ15個、お皿15枚<br>リンゴ15個、お皿5枚<br>のいずれかになる可能性が高いでしょう(一つ正当が混ざりますが)<br><br>5個×3枚=15個の場合当然<br>リンゴ15個、お皿3枚となります<br><br>5枚×3個=15個 (掛ける数×掛けられる数と交換法則の利用)<br>の場合、リンゴ15個、お皿5枚となります。<br><br>3×5の場合でも間違った理解の立式はかなり除外できます。<br><br>ここで問題となるのは、適当に掛けたのに正しい答にたどり着いた場合ですが、山勘でたどり着いたのならば打つ手はとりあえずありません。(問題数をこなして引っかかるの待ち)<br><br>リンゴの方がお皿より多くなる筈だと判断した場合については、問題文の文節にしたがってリンゴが多いと判断しているならば、ほぼ掛ける数と掛けられる数を正しく理解していると考えていいでしょう。<br>ふつうリンゴはお皿にのせるものだからリンゴの方が多いはずってものに対しては、引っ掛け問題1問作れば対処できます。<br>例)リンゴが3つあります、1つのリンゴにお皿が5枚のってます(以下略<br><br>問題を少しいじるだけで順番に拘る必要性が一気に下がると思うんだけどどうでしょうかね?

先生質問です。 (2010 年 11 月 23 日 (火) 08:30)

5皿に三つづつ。が何故日本語として駄目なんですか? <br>ひとつ分の数がいくつ分って日本語として変です。<br>日常会話だと、三つ載っている皿が五つとはあまり言いません。

積分定数 (2010 年 11 月 23 日 (火) 14:03)

>どこかの中学・高校入試で順番に拘った解法・採点があるので <br>繋がりのある地域で流行り始めた、 <br>というのはありえませんか? <br><br>その辺はわかりませんが、この手の議論で「入試で順序も採点対象で、順序が違うと減点される」とコメントする人がいます。はなはだ怪しいと思うのですが。単なる憶測で言っているだけだと思います。<br><br> また、「入試で減点される可能性が0でない以上、受験指南としては、順序に気をつけろと指導するのが当然」というコメントも見たことがあります。<br><br> また、学研やベネッセなどサイトでも、順序がどうたらと、小うるさいことが書いてあります。こういう教材をだしているところも、順序蔓延に加担していると思います。<br><br>http://gakusan.gakken.jp/elementary/column/Q-A/article/100519.html<br><br>>しかし、教科書の例では、かけ算の式は、【1つのまとまりが、いくつあるか】ということを表す形になっており、この考え方では、計算した結果が同じでも、式の表す意味はまったく違ってしまいます。<br><br>こういうことを書く人って、数学を理解していないと思います。「意味が同じ」とか「意味が違う」というのは、何なのか?<br><br>1/3 と 2/6 は、意味が同じか違うか?<br><br>1mを3等分した1本<br>1mを6等分した2本<br><br>後者は、切れているから、両者は違うともいえる。<br><br>「同じ」とか「違う」とかは、抽象度の違い。<br><br>5枚の皿にりんごがそれぞれ3個ずつのせらていた場合のりんごの数。<br><br>1時間に3kmずつ歩く。5時間では?<br><br>皿にのせた林檎と、歩く距離、まったく違うのに、<br><br>3*5<br><br>という同じ式で表していいのか?<br><br>「3*5と5*3 は意味が違う」<br><br>という考えは当然ありうるが、そうであれば、上のようなことは疑問に思わないのだろうか?<br><br>秋刀魚と鯛は同じか違うか?種としては違う。魚という点では同じ。<br><br>抽象的視点から見たら「3*5と5*3 は意味が同じ」<br><br>長方形の面積が、縦*横、横*縦 どちらも意味が同じというのと同じことである。<br><br>横*縦 を「公式と違うから」と誤答にするアホ教師がいるのは困り者である。<br><br>>「思ったんだけど、反対派が小学校の時、私の主張しているように教えられたはずなのに、違和感を感じて反論しているという事実自体が、かけ算の根本に関する理解を妨げていないという何よりの証明になるのではないだろうか。」<br><br>こういうコメントする前に、文科省に電話して聞いてみればいいのに。<br><br> 私も最初、新聞投書で「掛算の順序が違うと後藤にされる」と知ったときは驚いて、電話した。「今はそうやって教えることになっているのですか?」「いえ、別にそんなことありません」<br><br>「じゃあ、掛算の順序が違うと間違い」って何なの?誰がそんなこと提唱しているの?<br><br> 狐につままれたような思いでした。

暗記嫌い (2010 年 11 月 24 日 (水) 01:24)

>積分定数さん<br>>順序蔓延に加担していると思います<br>最初、学研が加担してるの?とびっくりしましたが、リンク先を見る限りでは加担しているというのはいいすぎな気がします。<br>学研での実際のテキストや採点法はこのリンク先のコラムではわかりませんが、<br>>>2×3=6が正解となるのです。<br>と一見順序蔓延を後押ししているようにも見えますがすぐその後に<br>>>実際に3×2=6と書いて、まちがいとされることもあるようです。<br>と書いてありますので、掛けられる数×掛ける数の順番をベターとしつつも、逆にするのは学研的に間違いとはしていないが、間違いとしている学校がある(ゆえに順番を守るのがベター)<br>と、順番に関する結論を出すことを避けているように見えます。<br><br>まぁ、学研の立場としては結論を出すわけにいかない状況というのは確かですけどね。<br><br>ひとつ気になった点としては間違えにする前提として<br>>>交換法則を学習するまでは、<br>と限定しているんですよね。これは学研把握としては交換法則を学習した上で間違いとしている小学校が無いという事を意味してると思いますけど、例の先生のtwitter発言では交換法則を学習させた上で間違いとしているという発言が有ったとか無かったとか…

50過ぎのおじさん@八度 (2010 年 11 月 24 日 (水) 03:17)

「わだいのたけひこのざっき:[教育] 15こあればいい,じゃあないんだよね」に書き込まれていた<br>「吾輩は馬鹿である:それでも自然数の積は可換である」の主のコメントが消されてますね。<br><br>一応通告ありですが、「益が無い」とか。<br>上から目線の書込み調子を消したかったかな~<br><br>そろそろこの話題も何度目かの熟考の時期に戻ったようです。<br>ここの主も、書き換え不可能か、と思います。<br><br>一番の問題は、<br>教育に関する事柄をネタ記事の題材にした事、<br>そしてその事柄が四半世紀以上も昔から論争が続いてる事を知らず調べず、<br>な事ですかね

積分定数 (2010 年 11 月 24 日 (水) 09:19)

>最初、学研が加担してるの?とびっくりしましたが、リンク先を見る限りでは加担しているというのはいいすぎな気がします。<br><br>私が「加担」と判断した理由は、<br><br>>しかし、教科書の例では、かけ算の式は、【1つのまとまりが、いくつあるか】ということを表す形になっており、この考え方では、計算した結果が同じでも、式の表す意味はまったく違ってしまいます。<br><br>の部分です。格子状に並べれば分かるように、「1つあたり」と「いくつ分」は固定的ではなく、その立場に立てば「意味が全く違う」とは言いきれないと思います。むしろ、「一見意味が違うように見えるが実は同じこと」を理解することがかけ算を理解することだと思います。<br><br><br>実は学研にメールしてやりとりした結果、文面が若干変わったのです。<br><br>元は、 <br><br>>しかし、かけ算の式では、【1つのまとまりが、いくつあるか】ということを表すので、計算した結果が同じでも、式の表す意味はまったく違ってしまいます。<br><br>「加担」は言い過ぎとしても、後押しはしてると思います。<br><br>ベネッセあたりは明確に「逆は間違い」としているので、これは加担と言っていいと思います。<br><br><br>学研やベネッセはともかく、市販の問題集にはいい加減な物が多くて、<br><br>「3㎝、3㎝、5㎝の直方体がある。長方形の面はいくつ?」<br><br>という問題で、「4つ」を正解にしている問題集があります。<br><br>正三角形を二等辺三角形から除外したり、市販の算数問題集はほとんど、「特殊は一般から除外する」という立場です。<br><br>文科省に質問したところ、「正方形が長方形であることは小学生には理解が難しいので教えない。児童は正方形を長方形と理解しても、長方形でないと理解しても、構わない。発展的内容として、正方形は長方形と教えてもいい。市販の問題集の直方体の面の問題では、問題そのものが不適切だが、あえて出題した場合は、4つ・6つどちらも正解にすべき。1つだけを正解とするなら、6つが正解。」という極めてまともな回答。<br><br>市販の問題集は小学校教員が執筆している例が多い。「正方形が長方形であることは小学生段階では教えない」を「小学生には正方形は長方形ではないと教える」と勘違いしている教員は多そうである。<br><br> であるなら、かけ算の順序についても勘違いして奇妙な教え方をする教師がいるのは容易に予想できる。<br><br>>>>交換法則を学習するまでは、 <br>と限定しているんですよね。これは学研把握としては交換法則を学習した上で間違いとしている小学校が無いという事を意味してると思いますけど、<br><br>純数学的論理学的には、「交換法則学習までは誤答」は「学習以後は正答」を意味しないものの、日常言語の常識では、「交換法則習った後なら順序は関係ない」と解釈するのが普通。<br><br>で、実際はどうかというと、私が教育委員会に確認したところ、「小学校6年まで順序は大切」とのこと。小学校5年生で「逆にしてバツにされた」という例は身近であった。<br><br>新指導要領でABCDの並べ方の総数などを小学校でやることになったけど、どうするのだろうか?<br><br> 順序派は「1つあたりといくつ分がしっかり区別できないと、速さや時間など、単位あたり量で躓く」と主張するので、「順序は交換法則まで」ということではなさそうです。<br><br> そもそも、「交換法則を教えるまでは」という発想が気に入らない。「子供が教わる前に自分で見つける」なんてことを微塵も考えないのだろうか??

順番重視な方に聞きたい (2010 年 11 月 24 日 (水) 21:56)

他所からの転載(http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=2)なのですが、当の場所では議論は終わってしまっているようですので、恐縮ですがこちらでお話をお聞かせください。<br><br>>うさぎの耳は2本、 <br>>「うさぎ5匹だと耳はいくつある?」という問題では、 <br>>1あたりの耳の数×うさぎの数=だから、 <br>>   2    ×  5  =10本です。 <br>>これが5×2でもいい、となると、5本の耳を持っている化け物うさぎが2匹になってしまいますね。 <br><br>「5x2」だと「5本耳の化け物うさぎが2匹」になってしまうのはなぜ?と児童に聞かれたら、なんと答えるのでしょうか?<br><br>「そういう決まりだから」と答えますか?<br>「なんでそういう決まりなの?」と聞かれたら?<br><br>AであればBが真であっても、BであればAが真とは言えないんですよ、奥さん。<br><br>思考過程が間違えていたら5x2と書くかもしれませんが、5x2と書いていたからと言って思考過程が間違えていたとは推測されません。

50過ぎのおじさん@十度 (2010 年 11 月 25 日 (木) 00:44)

一つ前の自分の書込みで誤解を招きそうなので追加<br><br>>「わだいのたけひこのざっき:[教育] 15こあればいい,じゃあないんだよね」に書き込まれていた <br>>「吾輩は馬鹿である:それでも自然数の積は可換である」の主のコメントが消されてますね。 <br>>一応通告ありですが、「益が無い」とか。 <br>>上から目線の書込み調子を消したかったかな~ <br><br>上から目線に感じたのは「わだいのたけひこのざっき:[教育] 15こあればいい,じゃあないんだよね」の主の応答コメント<br><br>和歌山の先生の追加エントリ<br>[5×3] 柔道師範,DDRer,父親との対話   http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20101124/1290530752<br><br>一生懸命取り繕ってるように見える<br>3年目の先生もだが、順序肯定派は饒舌になる前に<br>昔の文部省、今の文部科学省に確認するのが最初にすべき事ではないか?<br><br>>>積分定数 さん<br>>正方形が長方形であることは小学生には理解が難しいので教えない<br><br>今、そうなんですか?<br>例によって正方形や長方形の定義を習う時に<br>正方形は長方形の仲間、って習いましたよ<br><br>小学生には理解が難しい>小学生に理解させる先生には難しい…

積分定数 (2010 年 11 月 25 日 (木) 14:26)

http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20101115/1289748698#c<br>↑「順序に拘る」を意地でも正当化したいように思える。<br><br>別の掲示板では、「(日本語の)受動態を使えるようにするためにも、『かける数』『かけられる数』は必要」というコメントを読んだ。ここまで来ると屁理屈。日本語の場合、修飾対象が動詞の対象であっても、「動詞の連体形+名詞」が普通。「動詞の未然形+れる・られる+名詞」は、受け身よりは可能の意味が多い。「食べる人」「食べる物」「食べられる人」「食べられる物」、<br><br><br>>50過ぎのおじさん@十度さん<br><br> どうも、70年代中頃に小学校で集合を教えなくなったのが原因のようです。<br><br> しかし、教科書には、長方形は4つの角が直角の物と定義されています。<br><br> それを素直に解釈して「正方形は長方形」などと言ったら教師から「屁理屈言うな!」と怒られる<br><br>などということがなければいいが。<br><br> 実際に、「小学校時代に正方形は長方形とは違うと習った」という人もいる。<br><br> 教科書は、一応棚上げになっていて、特殊と一般の関係は最後まで、どちらで解釈しても構わないように出来ている。<br><br>例えば、<br><br>長方形だけや、長方形や正方形だけで囲まれた立体が直方体、<br><br>という言い方になっている。<br><br>立方体は直方体に入るかどうか、同様のことが言えるが、そこは問わないから、どっちで解釈しても構わない。

積分定数 (2010 年 11 月 25 日 (木) 14:39)

ちなみに、文科省の見解と、文科省国立教育政策研究所の見解は矛盾していて、<br><br>後者は、「正方形は長方形ではない」という教え方もあり得る、という立場。集合云々はそのときに聞いた話。<br><br>もともとは、近くの小学校で<br><br>直方体の体積=( )×( )×( )<br>立方体の体積=( )×( )×( )<br><br>というテストで両方、縦×横×高さ として立方体の方が誤答とされた事例を聞いて頭に来て問い合わせたもの。<br><br>立方体の方は、一辺×一辺×一辺 が正解だというが、体積とは何か、どうすれば体積が求まるかを理解していればどっちでもいい話。教師自身が算数・数学を分かっていなくて、公式を暗唱させることが重要と思っているようである。<br><br> もう一つ頭に来た事例は<br><br>「20本の花があります。5本で1つの花たばを作ります。花たばはいくつ出来るでしょうか」<br><br>「4たば」と答えてバツにされたというもの。<br><br>何故か分かりますか?「いくつ?」と聞いているので「4つ」が正解だとさ。<br><br>指導書か何かで「単位は重要です。長さの単位か、重さの単位か、時間の単位か、同じ長さでも㎝、m、㎞、いろいろある。mで聞いているのに㎞で答えたりする児童がいます。しっかり指導しましょう」というようなことでも読んだのかな?<br><br>で、「単位が大切」で、「4つ」が正解で、「4たば」は誤り。<br><br><br> 順序派がいくら、「これこれこういう理由でかけ算の意味を理解させるためには、順序が大切」と言っても、正しく主旨を理解しない教師がきっといるだろう。<br><br> 現に、長方形の面積を横×縦で求めた場合に誤答にする教師がいる。

暗記嫌い (2010 年 11 月 25 日 (木) 18:48)

>一辺×一辺×一辺<br>正直酷いダブルスタンダートな話だ。<br><br>立方体の場合、縦=横=高さが前提条件な為、一辺×一辺×一辺が成立するってだけで、掛け算の順番の意味に固執するのであれば、一辺×一辺×一辺なんてのは話にならない位に体積の意味を蔑ろにする表現な筈なんだけどな。<br><br>まぁ、逆に言えばこのダブルスタンダートを是とする為には、<br>立方体が長方体の仲間で有っては困るから、<br>>正方形が長方形であることは小学生には理解が難しいので教えない <br>というトンデモ理論を作るんだろうな。<br><br>(ちょっと体積の話が面積の話にずれるけど)<br>正方形は1辺×1辺であって縦×横ではないとするから、<br>縦=横な長方形の事を正方形と呼ぶという、簡単な事実(というか正方形の定義)の説明のしかたができない。<br><br>何で1辺×1辺でいいのかの理由が正方形だからそれでいい、長方形とは別物だと言うしかないって事だよな。<br><br>とここまで書いたところで、正方形が長方形であることは理解が難しい<br>の理由が少し見えた・・・<br>要するに、高校数学の必要条件・十分条件辺りで挫折した人間が小学校教師に多いって事なのかもしれないな~。<br>正方形は長方形であるか否かなんて、もろ命題になるし

積分定数 (2010 年 11 月 25 日 (木) 22:22)

>要するに、高校数学の必要条件・十分条件辺りで挫折した人間が小学校教師に多いって事なのかもしれないな~。 <br><br>実は、高校数学の命題の所でも同様のことがあって、以下のような問題が教科書に載っている。<br><br>x=3は、2x=6であるための( )。<br><br>括弧に当てはまる最も適当なものを選べ<br><br>1.必要条件 <br>2.十分条件 <br>3.必要十分条件 <br>4.必要条件でも十分条件でもない<br><br><br>x^2=16 の解はとして、x=4 としたら減点されるのが普通。条件に当てはまるものを過不足なく書くのが不文律で、±4が正解。であるなら、上記の問題も、「1と2と3」が正解かと思ったら、正解は「3のみ」だという。教科書会社の説明だと、「“最も”適当なもの」だから、「必要十分条件」だけだという。<br><br>しかし、<br><br>P→Qが成り立てば、<br>PはQであるための十分条件であり、QはPであるための必要条件である。<br>逆が成り立つことで、この十分条件や必要条件が揺らぐことはない。「必要十分条件」と比べて、「適当さ」において劣るわけではない。<br>このようなテキトーな問題が、まさにそのようなことを学ぶ命題の所で出されている。<br><br>ちなみにさすがはセンター試験で、選択肢は以下のようになっている。<br><br>1.必要条件であるが十分条件ではない <br>2.十分条件ではあるが必要条件ではない <br>3.必要十分条件 <br>4.必要条件でも十分条件でもない

50過ぎのおじさん@十一度 (2010 年 11 月 25 日 (木) 22:24)

積分定数 さん<br>>もう一つ頭に来た事例は<br>>「20本の花があります。5本で1つの花たばを作ります。花たばはいくつ出来るでしょうか」<br>>「4たば」と答えてバツにされたというもの。<br>>何故か分かりますか?「いくつ?」と聞いているので「4つ」が正解だとさ。<br><br>兎が3羽、狸が4匹、あわせて動物は何匹?>4匹、ってか!<br><br>どうやら水素イオンどうしをぶつけても、核融合はおきないらしい

積分定数 (2010 年 11 月 25 日 (木) 22:32)

>兎が3羽、狸が4匹、あわせて動物は何匹?>4匹、ってか! <br><br>単位に注目するとそうなってしまいますねW<br><br>あと、この先生に失礼だけど年齢を聞きたい。<br>「先生はおいくつ?」

45歳 (2010 年 11 月 26 日 (金) 07:27)

今頃ちょっとアレですが、もし回答者(ここでは小学2年生)が<br><br>「1枚の皿にりんごが3個ずつだから、”皿の数の3倍の数”のリンゴがあるよ」<br><br>というような説明をしたとすれば、不正解にする理由は全くないと思います。「かける数とかけられる数」という意味でも「倍数の概念」という意味でも何ら破綻しません。<br><br>「5X3を認めると割り算のときに混乱する」というような意見もありますが、上記のような考え方をもできていれば、「15個のリンゴを3個ずつ分ける」、「15個のリンゴを5皿に分ける」のどちらにも対応(?)できるのではないでしょうか?「<br><br>「3個のリンゴを5皿」は3を5倍(3X5)でなければならないとすると、「15個のリンゴを3個ずつ分ける」と「15個のリンゴを5皿に分ける」はどう違いを説明するのでしょう???<br><br>数日間、そこここでこの論争を見て上のような感想を持った次第です。

積分定数 (2010 年 11 月 26 日 (金) 13:12)

>何で1辺×1辺でいいのかの理由が正方形だからそれでいい、長方形とは別物だと言うしかないって事だよな。 <br><br>長方形の面積を横×縦で求めて、「公式と違う」と言われたら、「平行四辺形の面積=底辺×高さ だから」と反論できるかと思ったが、横×縦を誤答にする教師は、長方形が平行四辺形であることが理解できそうにないから無理だと気づいた。<br><br>>「5X3を認めると割り算のときに混乱する」<br><br>これって、等分除と包含除の区別が付かなくなって混乱するってことなのかな?<br><br>少なくとも分離量に関しては両者を明確に区別することは不可能で、混同しても何の問題もないというか、混同している状態が「わり算を習得した」といえる。

暗記嫌い (2010 年 11 月 26 日 (金) 15:49)

>積分定数さん<br>>割り算のときに混乱する<br>必要・十分条件による論理と証明に関して本質を理解しきれていないという観点で見れば<br>交換法則についても本質を理解してないってのが答な気がします。<br><br>要するに、掛けられる数・掛ける数という組合せと割られる数・割る数という組合せでしか物を考える事が出来ないから、<br>掛け算で出来ても割り算では出来ないこの差を説明するよりも、掛け算も交換できないとしたほうが(割り算を教えるその瞬間のみについて)説明しやすい。<br>ってだけかと。<br><br>交換法則的には掛け算は<br>a×b=cはb×a=cであり<br>割り算は<br>a/b=cはa/c=bである<br>となる訳だけど、掛け算は掛けられる数と掛ける数の交換だけど、割り算は割る数と答の交換になる訳で、割り算の交換法則は中学校(数学)の方程式から導入されてくる概念。<br>で、交換法則ってのを漠然に、られる数・る数の組合せだけでしか考えられないと、割り算が交換できない訳の説明が悪魔の証明的になってしまう。<br><br>と思ったけど、小学校教師がこんなクドイ事考えてるとは思いにくいか・・・。<br><br>実際はもっと単純なレベルで<br>加減乗除を同じようなもの扱いしてるからってあたりかな?<br><br>掛け算の時に答が同じだから交換できると説明した時に、何でそうなるのと聞かれてそこで教えるのに労力をつかって、<br>割り算の時に答が違うから交換できないと説明した時に、何で掛け算と違うのと聞かれてまたここでも労力を使う。<br><br>と2度労力を使うよりも、掛け算で出来ないと言っておいてそこで労力を使って、割り算の時は掛け算と同じだからで済ましてここで労力を使わないようにする。<br><br>ってことかな?<br>割り算を教えるただその時の苦労を減らしたい為だけに、その先の苦労を度外視している。<br>教育段階でみても、割り算を教える教師と掛け算を教える教師は同じ先生だろうけど、掛け算の交換法則が重要になってくる教育段階では教える教師がほぼ別の教師だろうから、自分が苦労しない為には他の教師の苦労は関係ないとか考えてもおかしくなさそうだし。

積分定数 (2010 年 11 月 26 日 (金) 20:03)

 そういえば、「やたらと交換できる癖がついてしまうと、わり算で困るから」というようなコメントを何かで見た記憶があります。行列云々もそんな流れだった。<br><br> 「可換でない2項演算が存在する。どれが可換でそれがそうでないのか、なんてことよりも一律可換でないとしておいた方が無難」ってことかな。<br><br> 食べ物に毒が入っているかも知れないから、腐っているかも知れないから、食中毒にならないためには食べないと言う選択が無難。でもそれじゃあ餓死する。<br><br> 高校数学でも似たようなことがあって、「f(x)の最小値を求めよ」という問題で、最小値を取るときのxの値を答えろなんて書いていないのに、模範解答では必ずと言っていいほど、「x=3のとき、最小値7をとる」という具合になっている。<br><br> なぜなのか考えたのだが、<br><br>「xが正の実数のとき、x+1/xの最小値を求めよ」<br><br>これを、<br><br>「2≦x+1/x (相加相乗より) よって最小値2」<br><br>と答えると減点されるはず。2以上になることは分かっても、2になることが実際に示されないと、最小値2だとは結論できない。だから、x=1のときに確かに2になることを言わなくてはならない。<br><br>だから、この問題では、「最小値をとるxを求めよ」と書いていなくても、論理に漏れがないようにするには求めざるを得ない。<br><br>しかし、求めなくてはならない場合とそうでない場合の判断は難しいだろうから、とりあえずxの値を書いておけばまちがいない、必要なのに書いてないと減点だが、不要なのに書いてあっても減点にはならない<br><br>というような受験指導の結果ではないかと思う。<br><br>2sinx+cosx の最大・最小はすぐ出るが、そのときのxを求めるのは面倒。<br>2sinx+3cosx となったら、むりやりarcsinなどで表現することになる。<br><br>最小値をとるxが複数あるときに、過不足なく書くのは煩わしい。<br><br>など、受験戦術としてもデメリットがあるし、<br><br>なによりも、「聞かれたことに対して最小限の労力で答える」という数学解答の美学に反する。<br><br><br>わり算に戻ると、「32個の蜜柑を4人でわける。1人何個貰える?」は、等分除で順序こだわりの立場からは<br><br>□×4=32 の□に当てはまる数を求めることになる。<br><br>当然、<br><br>2・4=8 3・4=12 4・4=16 5・4=20<br><br>と求めるかと思いきや、<br><br>4・2=8 4・3=12 4・4=16 4・5=20<br><br>と4の段で求めるようだ。教科書にそう書いてある。<br><br>ご都合主義だと思うが、いずれにしてもかけ算の順序に拘っているとわり算が出来なくなりそう。

50過ぎのおじさん@十二度 (2010 年 11 月 26 日 (金) 23:30)

小学校算数で教授内容が縮小されたのは、1980年頃<br>1.そろそろ大量の団塊の世代の子供世代が入学してくる<br>2.小学校教員を増やさねばならない<br>3.増やすと程度の低い方の人材を利用せざるを得ない<br>4.それまでの指導内容をそのまま利用すると消化できない教師が出てくる<br>5.整理して教授内容を省く->指導要領変更<br>6.1980年代以降に小学生だった世代が、親や教師に<br>7.はてなに順序肯定派が少なくない数 <-今ココ

50過ぎのおじさん@十三度 (2010 年 11 月 26 日 (金) 23:37)

ぶっちゃけ、「平行線に関する公理・公準」とかのネタ授業ないよね<br>(平行線が交わらないのを、公理としてあつかうか?定理として扱うか?)

phh (2010 年 11 月 27 日 (土) 17:34)

'追記: ばつが全否定だと受け取られているご意見が多いです。自分自身はそうは思っていません。でもまだ下記ではうまく説明できてないです。すみません。'<br><br>ここが理解できない<br>教員が思っている以上にバツを付けられた時の子供の否定感は強い<br>バツがついたテストを親や友人に見せたくない子は少なくない<br>軽い気持ちでバツをつけるべきではない

積分定数 (2010 年 11 月 27 日 (土) 22:56)

数学的には全く無意味無価値でナンセンスだけど、嘘も方便だから、「教える上でそういう教え方もありなんだ」ということももしかしたらあるのかも知れないけど、<br><br>http://okwave.jp/qa/q5273339.html<br><br>こういうアホ教師の事例を色々知っているので、いくら説明されても、眉唾に思えるのが正直なところです。

50過ぎのおじさん@十四度 (2010 年 11 月 28 日 (日) 04:12)

三年目の先生の所に、元小学校教師出現<br><br>何故、あの程度で安直にコメントするか?<br><br>本当に公立はやばいかもしれない

Kidsnote:【ゆっくり理解】なぜ3×5で正答で、5×3が誤答なのか (2010 年 11 月 15 日 (月) 00:53)

そういえば掛け算にはそんなルールが あったな より引用 これを受け、上記エントリーではものすごい議論の嵐。 そして下のエントリーでもかなり丁寧に解説されているにもかかわらず、議論の嵐。 黄金原本更新, 【最短理解】なぜ5×3ではなく3×5なのか &#8211; ワタタツの日記!(2010-11-13) これは、おそらくいろんなことを混同したり、お互いの立場を全く理解せずに議論しているからだと思ったので、ゆっくり理解と題してそれを紐解いていこうと思います。とりあえずお約束。 教職3年目の若造です。..

熊恭太郎雑記:[他]「なぜ5×3ではなく3×5なのか」の問題解決に見られる見直すべき教育側の感覚 (2010 年 11 月 15 日 (月) 02:36)

私は先生ではありませんが、最近、塾の子供たちが×マークに過剰な拒否反応を示すので、この手の問題に私も若干、敏感になっています。 この件は面白いです。算数の立式の理解と、かけ算の定理を別物として理解させようとする、教育側の意図というか苦悩というか、そういう

真夜中は別の人: 3×5≠5×3問題について (2010 年 11 月 15 日 (月) 03:40)

流れ的にはこんな感じ そういえば掛け算にはそんなルールが あったな 【最短理解】なぜ5×3ではなく3×5なのか &#8211; ワタタツの日記! かけ算の5×3と3×5って違うの? - Togetter 【ゆっくり理解】なぜ3×5で正答で、5×3が誤答なのか | Kidsnote 夜中なので簡潔に4つ目

[es]別館:掛け算問題に関しての考察 (2010 年 11 月 16 日 (火) 23:41)

さらが5まいあります。 1さらに りんごが 3こづつ のって います。 りんごは ぜんぶで 何こ あるでしょう。 に関して考察してみます。 「3×5」の5ってなんだ? 小学生の算数において以下のことが重要なポイントなのだそうです。 面倒なので掛け合いはパスしますが、以下

吾輩は馬鹿である:それでも自然数の積は可換である (2010 年 11 月 17 日 (水) 02:30)

このブログは、専門外の人間が外から密輸した理屈で、正しいことを正しいと主張することを禁止する風潮を批判するためのものである。そんな私にとってどうしても看過できないのが、今回の「掛け算の順序」騒動だ。詳細は以下を参照。 Togetter - 「かけ算の5×3と3×5って違

わだいのたけひこのざっき:[教育] 15こあればいい,じゃあないんだよね (2010 年 11 月 19 日 (金) 02:09)

「かけ算の3×5と5×3って違うの?」 0 はじめに | sudahatoの一隅百遍 言葉で書くと,こう: 算数の問題で,『さらが 5まい あります.1さらに りんごが 3こずつ のって います.りんごは ぜんぶで 何こ あるでしょう.』という質問文と,「しき」と「こたえ」を書く

babydaemonsの日記:[ネタ][教育]超短期的な現プロジェクトの進捗や残業代の損失よりも、子供や国家の成長の機会損失を回避すべき (2010 年 11 月 20 日 (土) 20:46)

日本の算数というローカルルールで小学校6年間しか使われない掛け算の定義の扱いなんて どうでもいいです。 まずはご本尊を確認しておく 小学校学習指導要領解説 算数(1)第1章〜第2章の41ページに 【整数の乗法と除法】 第2学年では,乗法が用いられる場合や計算の意味に


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