ワタタツの日記
2010 年 6 月 7 日 (月)
☆ 「なたもだ」から国語教育改革を思う
togetterってiPadでリスト作成ってどうやったらいいの? まさか検索して一個一個選択?.
昨日はiPad 3GにSIMを搭載しての初めての遠出だった。すさまじい威力を発揮した。アメリカ人が言った燃費 14miles per gallon をすぐにGoogleアプリにしゃべってみると単位換算できるしGoogle Mapsの経路表示+GPSは簡易カーナビに余裕でなった.
うおおーーWWDC2010基調講演まであと3時間切っとるーーー!楽しみすぎるーーー!財布のひもゆるむかー!. 最近は 6000 円のことを 1 iPhone という単位を導入して出費を考えています. アメリカでは、発音そのものも高校卒業ぐらいで専門家に矯正してもらうってアメリカ人が言ってた。こもったもごもご発音や滑舌の悪さが社会的に不利になるから。こういところは見習っていいところだと思う. いまちょっとずつ大学でプレゼンや発表ポスタなど表現情報発信のいろはをやろうという動きがあり、是非とも応援したいと思っています。声だけの応援ですみません. 日本だと、発表プレゼン話し方文章構成などで、*習得法を確立できる基礎の部分ですら「職人気質」というか自分で悟るものだみたいな風潮なのがよくない。そういう「教えない,盗め,自分で気づけ」が許されるのは職人レベルの上級者に対してのみ。基礎は教育で持ち上げるべき.
☆ WWDC
Mac OS X 10.6.4, Safari 5 and Xcode 4 Coming at WWDC (Mac Rumours) わくわく Safari 5 は現段階の HTML5 フルサポートかなー。XCode 4 は新しい現代的な手法が追加されてないかなあ。楽しみすぎる Mac OS X 10.6.4, Safari 5 and Xcode 4 .
☆ Gizmodo
妻と、「Gizmodoが会場入れないのにテキスト中継どうするの」「いや他にも大勢中継人いるから大丈夫」「なんとか入るかもしれんしね」という話をしていて次の台詞を思いついた.
「Gizmodoが死んでも代わりはいるもの」.
☆ 首相交代は戦闘中のベホイミ
鳩山さんが総理を辞めて菅総理が誕生して支持率が 60% を超えましたね。しかしそれは戦闘中のベホイミ*1に過ぎないのです。
なぜなら、普天間問題もどうするのか全く話は進んでいないままだし宮崎の口蹄疫問題も責任の所在がほったらかしだし、やることは中ぶらりになったままだからです。 ドラクエで言えば未だに攻撃を受け続けている状態だというわけです。
もしも、このままバイキルトやスカラでこちらの力をアップさせ、こちらから攻撃をしかけなければ、またヒットポイントは減っていき、やがて主人公たちは全滅してしまうでしょう。まだマジックパワーが残っていれば (首相になれる人がまだ民主党にいれば) もう一度ベホイミをかけるのかもしれません。 それでは本来解決すべき問題は何も問題は解決していないのです。
したがって、戦闘中のベホイミがただの延命ではなく本当に敵を倒すことにつながるためには、現在戦闘中の敵に攻撃が必要です。
果たして菅さんは戦闘中の敵に攻撃をするのでしょうか。ただただ敵の攻撃をのらりくらりかわしながらかすり傷をため込み、表示が黄色くなり*2次のベホイミを待つのでしょうか。前者を期待しております。特に普天間問題をどうするのか注目しています。
☆ 文章の書き方・構成の基礎教育をカリキュラム化すべき - 今週のテストの花道「なたもだ」を見て
日本の国語教育が読み取りに偏重し過ぎており作文指導が本当に少なく手法が不十分なのを改善すべきだと、今日改めて思いました。
それは、やっと和田彩花ちゃんが出るというので今週の NHK 教育の「テストの花道」*1を見たからです。
今週のテストの花道で取り上げられた「なだもだ」
今週は「なたもだ」という文章構成のこつの紹介でした。 論理的な文章を書くための指針として「最初に主張」を書いた後に「なぜなら・たとえば・もしも・だから」という順で4つの書くパートの書き出しを始めればよいというものです。
「〜というテーマで文章を書いて下さい」といきなり言われるとどう書いていいかわからない、筆が進まなかった出演者たちも、指針「なだもだ」を使うと多くの人がちゃんとした構成の論説の文章が書けてました。
エチカの鏡での「国語専科教室」という塾
例えば、タモリの番組エチカの鏡で紹介されていた「小学生に文章を書くだけを指導する塾」(国語専科教室) があります。 文章力を基礎からしっかり指導して、やがて子どもが自分でしっかりした意見や事実表現をできるようにさせています。 文章力は論理的に考える力・物事をとらえる力に直結していますから、その文章塾だけで、国語以外の算数などの成績も上がっています。
それって義務教育でやるべき
このようなちゃんとした構成の文章を書く力は、こんな個人塾ではなく義務教育で、カリキュラムとしてなされるべきです。 今では気づいた人だけが伸びて力をつけ、気づかない人はそのまま伸びないままです。
「いや作文指導はカリキュラムに入っている」という人がいるでしょう。違うのです。少なすぎること、基礎をみっちりやらずに何かを書かせている現在の指導が問題なのです。 それは海図を持たずに太平洋に出ろと言っているのと同じです。 自分の子どもに補助輪をつけずにいきなり自転車を運転させるのが当然とでもいうのでしょうか。
もっともっと補助輪をつけた走行に時間を割くべきなのです。 なだもだのような補助輪を与えて、3行程度の短い文章から初めて何度も何度もドリル練習をさせることが大事です。
もしも、カリキュラムとしてきちんと盛り込めば、自力で気づけなかったほとんどの人の文章が改善され、論理的思考力も当然改善され、ボトムアップ、全体の国力アップになり、日本全体がよくなります。
負の連鎖を断ち切る
今は作文指導が不得意な教員は、今の少ない練習機会にさらに輪をかけて少しの指導で終わりにしています。その教育を受けた子どもの中からやがて作文指導が不得意な教員が生まれるでしょう。負の連鎖なのです。 これを止めるのは私塾でも大学の教養教育*2でもなく、義務教育小中学校の国語です。
政治家と官僚頑張ってください
それをするためには義務教育のカリキュラムを大幅に変更する必要があります。 それができるのは政治家や官僚だけです。一般人のわしにはできません。 国語科の作文指導の不十分さはかねてよりずっと感じていることです。 是非とも頑張って教育改革をして欲しいと思います。
あの番組、所さんが司会だし、現役高校生や大学生が出ていて、面白いですよね!私はかてきょ先の子には、みなに宣伝していますよ
ほんと面白いですよねー! 今の大人が見てもためになりますもんね。周りのお子さんにもおすすめしよっと
「テストの花道」、とても良い番組ですな。ただ携帯サイトじゃなきゃ番組の詳細が参照できないってのはどうも…(笑)<br><br>作文指導ってのもね、所謂文学的な作文は指導する必要はあまりないかなと。こう感じろ、感じない奴は駄目だなんてな授業を行ったとしたら、思想統制だもんね(笑)<br>ここで挙げられている「なたもだ」も論理の問題ですよねぇ。こういう明快で基本的なものはしっかりと繰り返し行うべきでしょうね。昨年、中三の希望者対象に「作文の作法」ってな授業をやってみましたが、なかなか面白かったです。「なたもだ」は接続語が与えられて「道筋」が明らかに示されているという手法ですが、盛り込むべき内容を与えてそれが文として成立するために繋ぎ(接続語)を考えるってのも有用だという気がしました。まぁ分かりやすくいうと、無理矢理ではない三題噺ですな。<br>なんてかねぇ、言語活動ってのは、例えば、「要約」と「説明」の行ったり来たりであるとか、「経験」と「言語」の行ったり来たりであるとか、そういった、メタ認知的っていうんですかね、なことを意識化もさせる機会もあまりないんですよねぇ〜<br><br>そりから、本務校に加えて、三年前から京都外国語短期大学ってところで非常勤をしてましてね。「日本語クリニック」って授業を担当しているのですが、これは日本語のリメディアルを目的とした授業なんです。ただ、だからといってドリル的にやってみたところで学生さん達の興味は持続しないので、早口言葉をやってみたり、いろいろするんですが、なんだか分からないままに断片的に学生さん達の脳裏にある日本語の知識を整理して磨くきっかけを与えると、後は各自学習できるようになるんですよねぇ〜 大概の場合。だから、多分、大学でも出来ることはあるんだと思うんですけれどね(笑) そりゃ、まぁ、小学校や中学校なんかの義務教育のうちにやっておくに越したことないけれど
いい番組ですよね。是非ガラパゴス携帯以外でもウェブで開示して欲しいですね。<br>はい、論理の問題です。ほとんどの人は今後文学的な作文の機会はありませんしね:-D<br>論理的に文章が書けるということは、論理的に物事が思考・構成でき、作文のみならず発表,スピーチ,紹介,聞かれたことの返答などあらゆる論理表現構成ができることですから、作文のみにとどまらない、作文指導をあらゆることの基礎にするための上の主張です。<br>「無理矢理ではない三題噺」すさまじく見事なたとえですね! Steve Jobsのトラック(パソコンの今後)ばりの見事な比喩だと思いました。使わせてください!<br>中三の「作文の作法」という授業、京都外国語短期大学での日本語クリニック、とても興味深いです。是非お話を伺いたいです! リメディアルだけにとどめておくのはもったいない技術の宝庫だと思います。こういう実践は全国で行われていますが、それを「一部の指導できる教員が一部に指導している状態」から「教育法を確立してすべての人が学ぶカリキュラムに」することが目標です。<br>まさにおっしゃる通り「なんだかわからないまま断片的にあるもの」を「整理する」ことが、上の記事で書いた基礎教育での実際の作業だと思います。<br>ただ、上の記事は、「義務教育中にやっておくに越したことはない」という十分条件の主張ではなく、必要条件として書いております。論理文章はこれから一生書くことになるし、しゃべることになりますから当然身につけるべきなのに、義務教育でなされていない、このていたらくな国語教育を大改築すべきだと思うのです。
日本人なのに、日本語でちゃんと書いたり論理的に話したりできないで、外国語習得を期待されるのも辛いですよね・・・
はい、上でも書きましたが国語教育は全ての基礎なので外国語習得にも深く役に立ちますね。<br><br>しかし、母国語での論理的な表現がちゃんとできるようになるまで外国語習得を始めないという考え方は反対です。必要なものはすべて同時並行的に学習すべきだと思っています。
おー、必要条件とか十分条件とか懐かしいなぁ(笑) 確かに必要条件であるとボクも思います。大村はまちゃんというばあさんがいて、もう亡くなっちゃったんだけれど、国語教育業界の巨人でしてね。この方、公立中学校の自分の教室にいる生徒の能力に合わせて、例えば一番国語が得意な子には十カ所答える必要にある、所謂虫食いプリントが渡されるようになっているとしたら、他の生徒には得意さの度合いによって九カ所から一カ所、それぞれの得意さにあったプリントが渡るようにしてたっていうんです。こうやって各生徒の現状に合わせて、でも、最低限のことは保証するっていう。ここまで出来るのはスーパーばばぁなんだが、最低限の能力の育成の保証と、更に得意とする生徒たちには上級のスキルの定着を保証しなきゃならないですね<br><br>いえねぇ<br>国語の教師になってる人材の中でタチが悪いのは、数学が出来なくて、んでもって英語が出来なくて、でこの商売を選んじゃった人達… てか、そういう人が多いのですけれど、言えば、論理的でない上に、自分の言語を客体化する術も持たない… 切ないねぇ〜 だから、「情緒」に逃げちゃうのかも… 冴えないねぇ〜<br><br><br>ボクが授業をしている短大生の皆さん、英語専攻なんですよねぇ。で、最初の授業で徹底するのは「第一言語で言えないことは、決して第二言語では言えないよ」なんです。逆に言えば、「第一言語が豊かになり幅が広がれば、その上に載っかる第二言語も当然、豊かになり幅が広がる」っていうねことを理解・納得してもらうことです。<br><br>いろいろ、こういう話題、盛り上がるんだけれど書ききれないので、ま、今年の定演の日にでも(笑)
確かに、第一言語で言い表せないことを、第二言語で言う事は不可能です。なのに、どんどん英語の文法と称して学習させるので、不得手な子が増えるわけです。
フクシマさん、いろいろ紹介いただきありがとうございます。<br>大村はまさんの話、なんとなく聞いたことがあるような気がします。<br>それとは別に学部の頃から、40人クラスなら40通りの指導案が同時実行されているべきであるとか、出来る人にはさらに進んだ指導をしてカリキュラムを超えてのばし、出来ていない人には最低到達ラインに到達させるための指導を行うべきである、という考えでおり、とても賛同できます。<br><br>2段落目の話、消去法で国語教育業界を選択する教員がいるというのは、非常に深刻な問題だと思っています。<br>国語というものが、単なる1教科では全くなく、全ての教科はもとより全ての活動の基礎になる重要な能力の習得になるものだという自覚を、国語教育業界の人全員が持つべきだと思います。それなのに「情緒に逃げる」などということが起こっているとは本当におっしゃる通り、さえないと思います。<br>現実には、教員数を確保するために無能な教員(ひどい言い方のようですが本当にひどい教員が少なくなく存在するようですね)でも採用せざるを得ない現状があり、なかなか一朝一夕には解決しない問題ではあると思います。でも解決しようとしないと解決しないなあとも思っています。<br><br>英語専攻の学生さんへの授業、すごくよさそうですね。<br>頭ではわかっていたとしても、実感として納得するような活動を、大学生の時期に経験できるときっと今後にとても役に立つんだろうなと思います。<br><br>僕にも授業して下さい。定演の時にでも!<br><br><br>かつらさん、「なのに」以前は完全同意ですが、「なのに」以降、そうは思いません。<br>外国語学習に文法は不可欠で、真っ先に習得すべきものです。<br>そして中高で学ぶ英文法で、日本語話者が日本語で言い表せないものはないと思います。<br>文法を学習することが不得手な人を増やしているのでは全くなく、問題はその方法だと思っています。